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「管コレ」を手かげるマッドサイエンティストJHに突撃インタビュー!その思想と原点を訊いた(前編)

某日都内某所、「JH Lab」に潜入し、「真空管ドールコレクション」の生みの親にしてアーティストのJH(ジョン・ハサウェイ)氏に独占インタビューを敢行。薄闇に怪しくそびえる自社ビルを前に、我々取材班(二人)は固唾を飲んで立ちすくむ……。

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◆「魔法町」の世界観は、MMORPGを想定していた




―――そういった世界から、「管コレ」制作につながって行ったんですね。

JH:「真空管ドールコレクション」の世界観をベースに色々な作品を作る、というのが私のライフワークになっています。当初JHラボで雑誌を作る企画があり、そこにカードゲームを付録で、という機会がありました。中川の元々の知り合いであった坂上さんというゲームクリエイターの方と「いつか一緒にできればいいね」と話していて、最初はコメディ路線を考えていたんですが、坂上さんが短期間で熱心に作ってくださったので、私も無理を言いつつ絵を合わせて行きました。カード自体はクレジットカードのゴールドカードを作っている会社で作ってもらいました。お金もかなりかかっていますし、もう作れないでしょうね。当時この限定版を買った人はプレミアになるはずです。

栗本(インサイド編集部デスク):僕も実際に買いに行ったんですが、仕事の取材が終わった後に伺って「豪華版はもうない」と……泣く泣く通常版を購入しました。

―――真空管に、または工業製品に対して普段からどう接していますか?

JH:「ラジオライフ」という本がありまして、小学校3年くらいの時に生まれて始めてラジオライフを買って以来ずっと読んでいます。アマチュア無線の機械や受信機も買ったりして。受信機は、結構怪しげな人が持っている業界なんですよ。当時コードレス無線が聞けたりとか、盗聴に利用されたりしていました。アマチュア無線の免許も取りましたね。

私にとってこれらは「ドラえもんの道具」だったんです。これがあればなんでも聞けると思ったんですね。トランシーバーも、普通のおもちゃ用のものだと20mくらいが受信限度ですが、これは何キロも届くんです。そこに魅力を感じてラジオライフみたいな雑誌を読んでいました。変わったところだと、ロシア軍のスターライトスコープもラジオライフの通販で見つけて購入しました。中には光電子増倍管が入っていて、実はこれも真空管。ドールのミラちゃんが、右目に光電子増倍管を付けています。これも「ドラえもんの道具」ですよね。このように、常に装置や電子部品に親しんでいました。


……私は男子校で隠れオタクをやっていまして、そこにある(本棚)「電撃G’s magazine」などを購入していました。その前には少女漫画にハマって……女子を求める先が二次元になってしまったんでしょうね。「少女漫画家になりたいな」と考えて、ずっと少女漫画を書いていました。その影響で「コンプティーク」や「BASICマガジン」「ゲーメスト」を買ってました。

―――懐かしい(笑) 私は「MSXマガジン」から「ベーマガ」、「ゲーメスト」へ行ったクチです。

JH:私は「Oh!PC」ですね。98NOTEでSC-88を使ってMIDIでDTMやったり、あとはドット打ちなんかもやっていました。中2の頃は『RPGツクール』でゲームを作っていましたね。ハードウェア、ソフトウェア双方に興味がありました。

―――と言うと、今後ゲームへの展開なんかも想定していると?

JH:コミケなどでビジュアルノベルを売ったりもしていたので、機会があればやりたいです。元々「魔法町」の世界観も、ネットゲーム……MMORPGを想定していまして、その後色々考える事があり、設定が変わって行きました。ゲーセンにも通っており、『ダライアス』や『レイフォース』などをプレイ。タイトー系のSTGや『デイトナUSA』で遊んでいました。最初に紹介した携帯スーパーファミコンも、当初「PCエンジンLT」欲しさに「自分で作れないか」と考えて、まず白PCエンジンからいじり始めたのが制作のきっかけです。これが小学生の頃。白PCエンジンを灰色に塗って、LTを作ったりしていました(笑)
《平工 泰久》
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