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【インタビュー】大下聡社長が目指すバンダイナムコエンターテインメントの未来像…「ワンダースワン」や『サマーレッスン』の話題も

2012年に社長に就任してから、矢継ぎ早に新展開を打ち出す大下聡氏にお話を聞きました。

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日本を代表するエンターテイメント企業としてゲームを中心に様々なコンテンツを全世界で展開するバンダイナムコグループ。その中核としてゲーム事業を担うバンダイナムコエンターテインメントはグループ統合以来の社名から社名変更に踏み切ったのに続いて、この春から田町の新しい未来研究所に移転し、新たなスタートを切りました。2012年に社長に就任してから、矢継ぎ早に新展開を打ち出す大下聡氏にお話を聞きました。

(聞き手: 黒川文雄)



―――まずは新社屋への移転、おめでとうございます。これまでは品川シーサイドにいらっしゃいましたが、田町への移転はどういう意図が込められているのでしょうか?

大下: ありがとうございます。グループ内のさらなる連携強化と業務効率の向上を目的に移転をしまして、新しい田町の未来研究所にはバンダイナムコホールディングス、バンダイナムコエンターテインメント、バンダイナムコオンライン、バンプレストとアニメコンソーシアムジャパン、それから隣接するビルにはナムコも集まりました。僕が担当しているのはバンダイナムコグループの中でも、ネットワークエンターテインメントSBU(※)という部門なのですが、それに関連した会社がここに集まってより機動的な事業が行えるようになったと思います。ゲーム開発は門前仲町、玩具は浅草、映像音楽は恵比寿にあるのですが、おおよそ3つの拠点に集約ができたと思います。

※SBU・・・戦略ビジネスユニット

新しい未来研究所での業務がスタート

―――なるほど。バンダイナムコグループとして進めてきたことが社屋にも現れている感じがしますね。

「ワンコンテンツ、マルチユース」という言葉に表されるように、1つのコンテンツに対してゲーム、玩具、音楽、映像、イベント、アパレルなど多様な商品に打ち出していく事がこれからのあるべき姿なんじゃないかと自分自身も考えています。たまたまバンダイナムコグループには70社近い会社があり、現在は「SBU」という単位で切り分けているのですが、最終的には、1つのコンテンツの元に会社が集い様々な事業展開を図るという形が分かりやすいのではないでしょうか。海外では、1つの国に1つの会社がある、という風になっていくのがいいんじゃないかと考えています

◆グループ各社を渡り歩いた異端児



―――大下さんは山口県出身で、東京の大学を出て、新卒でバンダイに入社されたと聞いています。

僕は元々教師をやりたくて、世界史と日本史、社会一般の免許も持ってるんです。旅行が趣味で、社会人になったら長い休みは取れない、でも学校の先生なら春夏秋冬のお休みがある、とかなり不純な動機ですね。採用試験は受かったものの、長い順番待ちがあるんです。欠員があれば順繰り採用されていく。それが100番目だとか言うわけです。いつかは入れるけど時間がある、ということでたまたま受けたバンダイに入ったのですが、教員になる夢はずっと持ってましたね。サラリーマンは朝から晩まで働いて、休みが少ないでしょ? (笑)

―――バンダイを受けた理由というのは?

偶然です、偶然。たまたま合宿所で新聞をめくっていたら求人が載っていて、しかも交通費を出してくれるというんです。当時のお金でもちょっとした額で、行くだけで儲かるなと(笑)。当時は陸上をやってて、賞なんかも持ってたから、履歴書に書いて総務に持っていって、採用試験を受けたら、なんとその日に合格を貰って「君いいね、来てくれる?」と言われて、ここで断ったら交通費は貰えないかな? とか考えながら「分かりました」と応えて。それで人生が決まったわけです(笑)。実は日商簿記一級も持っていたので、それも良かったかもしれません。

―――最初の配属はどちらだったのですか?

面接の時に一芝居打ったんです。「僕は赤面症なので、人と会うのがダメなんです。でも日商簿記も持ってるから経理や総務では活躍すると思います」でも、入社式の日に創業者の山科直治から告げられたのは模型部でした。要はプラモデルの担当ですね。模型部で最初の仕事は返品の仕分けです。戻ってきた商品を仕分けして記録していく。これをひたすら1年間。教員の採用通知を待ったのですが、待てど暮らせど連絡は来ない。

2年目は貿易でした。海外からプラモデルを輸入する仕事ですね。20代では必ず会社を辞めようと思っていたのですが、暫く仕事をしていると任せられるようになって「君、出来るよね」って褒められたり、リーダーにされて部下を付けられたりして、もう少しは居なくちゃいけないかな? と思って4,5年経った時には諦めましたね。その頃になると「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」が出てきて、その後「機動戦士ガンダム」が登場するんですが、売れに売れて。それで何となく楽しくなってきました。

―――そこから社会人人生が軌道に乗っていくわけですね

いや、そうはならなくて(笑)。31歳の頃かな、辞表を出したんです。入社して10年近く模型部に居て、最初の約束と違うじゃないか、それなら自分で商売をしてやろうと。当時のバンダイ社内ではよく論文の公募があって、ニュービジネスについての論文で佳作を取ったんです。「何年も配置転換をお願いしてるのに聞き入れられないから、この佳作を取ったビジネスに挑戦するから辞めたい」と。そうしたら当時の役員に事業計画持って来いと言われて、辞めるのに何でだと思いながら持っていったら、2,3枚読んでベリベリベリと破られて「お前やめとけ、これは潰れるわ」とやられるわけです。「いや違うんです、可能性を感じているから是非挑戦したいんだと」食い下がっても、駄目だと。それでもう少しやることにしたんです。

それでトイ事業部に異動になって玩具の仕入れをやることになったんです。それでも辞めたくなって、自分で商売やります、と言ったら、僕の新入社員からの上司でのちに副社長までなった人が当時は静岡で工場長をやっていて、今すぐ来いと。そして「辞めるな。お前が辞めるなに俺も辞める」って言うわけです。訳が分からないですよね、でも役員一歩手前まで来てる人が自分にそこまで言うなら無理だと思って撤回したんです。

そうしたら次は札幌の札幌営業所長をやれと。それまで玩具を売った経験は無かったのですが、色々新しい施策を打ったり、得意先を回ったり、楽しくやらせてもらいました。でも1年半くらい経ったらもう戻って来いと言うので2回くらい断りながら、東京の営業所統括の部長をやって、その後、マーケティング部長をやりました。

―――その後はあの「ワンダースワン」にも携わったそうですね

暫く営業系をやっていたのですが、次は事業部をやれということで、エレクトロニクス事業部でキッズ向けのパソコンを担当しました。その頃から、半導体や電子部品に関わるようになり、台湾で製造現場に行ったりするようになりました。そこを2,3年やってからゲームです。

ゲームを扱うコンシューマ部では、「ワンダースワン」という携帯ゲーム機のプロジェクトがあるからそれを担当しろと。もしかしたら勝機があるかもしれないと立ち上がったプロジェクトでしたが、いきなり『ポケットモンスター』の大ヒットで「あちゃー」となりましたけど(笑)。自分も諦めなかったので、暫くは続けましたよ。

次はバンダイネットワークスの社長をやりました。バンダイネットワークスは、i-modeのコンテンツをやっている部隊がスピンアウトした会社で当初から上場するという目標もあって、起業家精神がある会社なんです。現場の社員も「上場を目指しているから頑張れるんだ」という意気込みなんですね。それで最初にやったのが上場。バンダイとナムコが経営統合してから、バンダイナムコゲームス(当時)とバンダイネットワークスも合併した方がいいんじゃないかという意見も出てきましたが、僕は反対しました。彼らはゲーム会社じゃないですよ、と。もっと最先端を行っていて、将来はもっと重要なキーになる会社だと思ってたんです。

でも最終的にはTOBをかけて上場廃止にしてバンダイナムコゲームスと統合ということになるんですが、正直、あれは勿体無かった。携帯コンテンツから始まって、eコマースをやって、もうすぐSNSも始めるくらいのタイミングだったんです。これからはネットワークコンテンツがいかに重要かと言ったものの、当時はそれを理解して聞き入れてもらえなかったのは残念でしたね。

―――バンダイネットワークスの後はバンダイビジュアルに行かれたのですね

初体験の映像制作に飛び込んで、映画を年間50本近く観てどっぷりはまって楽しかったですね。最初は大赤字だったのが、何とか持ち直していけて。そのうちまた戻れと言われるのですが、今度こそ嫌だ、と(笑)。でも頼むと石川さんにも何度も説得されて、それで2012年からこちらの社長になりました。

◆バンダイナムコの風土を変えていく



―――社長になって最初の施策は何だったのでしょうか?

別に準備をしていたわけじゃないのですが、戻った時には変えるべき事は色々あるなと思ってました。セクションのあり方、バンダイとナムコという分け方とか。当時のバンダイナムコゲームスには約900人の社員がいて、バンダイ出身、ナムコ出身、バンプレスト出身、バンダイネットワークス出身がいる。それが、全員が出身社名で話をするんじゃなくてバンダイナムコの社員として活き活きと働けるようにならないと駄目だという事です。それから、「ワンコンテンツ、マルチユース」と掲げながらも、どうしたってゲームを作りたくて入ってきた人が多い。特にゲーム作りに縛られている風土を変えたかった。事業領域はもっと広いエンターテイメントの世界に広がってるわけです。それで社名を「バンダイナムコエンターテインメント」という幅広な名前にしました。“狭い世界でなく、みんな色々なことが出来るようになれるように。

―――社名変更はかなり象徴的ですね

会社で働いてる皆さんが、ゲームに縛られずに、エンターテイメントの全領域で経営資源を使ってビジネスを広げていけばもっと楽しい会社が出来ると思ってます。そのためには社員も「バンダイナムコエンターテインメント」という会社に誇りを持って貰わないといけません。その為に1年目から「めちゃくちゃCMを打て」と言ってます。CMを打つと社員が観ます。その友達や親も観るでしょう。そうすると「あれはウチの会社なんだ」と言えるじゃないですか。自然と会社にロイヤリティを持てるようになる。バンダイやナムコではなく、新しい「バンダイナムコエンターテインメント」という会社に対してです。それから商品も売れるだろうし一石二鳥です。今はとにかくブランド価値を高めたい。社員も会社に対して愛着が持てて、楽しく仕事をしてくれている社員がどれだけ居るか。人材格差が企業格差になる。人を育てることが先決で、その下にビジネスモデルやIPがある。どういう人材が居るか、それが全てだと思いますね。

―――確かにここ数年、御社のテレビCMを目にする機会が多いように思います。その裏には人を育てるという狙いがあったのですね

ナムコの創業者の中村雅哉さんも、バンダイの創業者の山科直治さんも人を育てたからこそここまでの企業を作れたと思います。どういう事業をやるか、の前にどういう企業集団であるかを大切にしたいと思ってます。グループのキャッチコピーに「挑戦・成長・進化」というメッセージがあるのですが、突然に成長・進化をすることはありません。まずは挑戦しなくてはならない。実は今年からここに「スピード」を付け加えようと言ってます。とにかく早いスピードで挑戦して、失敗して、成功する。これをガンガンやっていかなきゃいけません。

―――ゲーム業界でも様々なプラットフォームの栄枯盛衰があるわけですが、バンダイナムコエンターテインメントとして、このプラットフォームの変化はどのように捉えているのでしょうか?

プラットフォームは移り変わりますよね。もちろん、任天堂、ソニー、マイクロソフトという確固としたプラットフォームが家庭用ゲーム機ではあるのですが、その形は時代に応じて変わらざるを得ないでしょうね。今後はネットワークというインフラを強く意識したものになるでしょうね。ネットワークはなくなりません。これはどの分野でも変わらないと思います。バンダイナムコエンターテインメントとしては新しいインフラを早期に掴むのが大事だと思っていてます。僕らはやっぱりコンテンツで育ってきた人たちなので。あとはナムコの施設をインフラとして広げたい。そしてリアルとネットワークを融合していくつもりです。

―――AM施設事業は厳しい状況が続いていますが、しかしインフラとして大きな可能性を秘めていると

ユニクロがあれだけ成功している理由を考えると、ユニクロの質の高い服はユニクロでしか買えないからです。同じようにナムコのお店に行けば面白いゲームが遊べる。逆に言えばナムコにしかないものがあれば、そこにいくしかない、そういう方向です。どこでも遊べるゲーム機を置いて、アミューズメント施設業界の波に一緒に乗るんではなく、我々の経営資源をフルに活かせる独自のビジネスをしなきゃいけません。

―――ガンダム専用のアミューズメント施設なんかも考えられそうですよね

まあ、さまざまなIPでそういう事も考えられますよね。ネットワークが整備されたお陰でリアルとデジタルが繋がります。そのリアルの場、我々の自由になる場を持っているというのは強いんです。だから、これまでの事業や業界の慣習に流されずに、新しい発想で考えようよと皆には言ってます。

―――新しいプラットフォームという意味でVR(バーチャルリアリティ)も盛んに言われています。他社に先駆けてPlayStation VR向けに『サマーレッスン』を手がけているという経緯もありますが、どのように捉えていますか?

実は報告がありまして、VRを使った研究施設をオープンすることになりました 。
VR領域を開拓する「Project i Can」プロジェクトの一環として、「VR ZONE Project i Can」という研究施設を4月15日から10月中旬までの期間限定でダイバーシティ東京プラザにオープンします。ここでは6種類のVRアトラクションをお楽しみいただけます(紹介記事)。



―――それは素晴らしい取り組みですね。

ただ、VRは乗り越えないといけない課題も多いんです。連続して遊んだ場合の影響や、また、視界と耳の両方が塞がるリスク。様々な課題をどう解決していくのか、実験していく必要があります。

―――少子化、高齢化社会の日本市場についてはどう捉えていらっしゃいますか?

まず、エンターテイメントには不況はない、不況にこそ求められるものだ、と自分は常々言ってます。だから世の中が厳しいからエンターテイメントも辛いということはあり得ないと。それは仕事放棄をしているのと同じだと思いますね。

特にバンダイナムコグループの場合は幼児から大人まで幅広いターゲットの商品を扱っていて、いまはハイターゲットの部分が上手くいってます。ただ、人口自体が減少していくの厳しい。ただ、世界を見ればエリアごとにここをトイで、ここをネットワークエンターテインメントで、ここを映像で、という攻め方も出来ると思います。

―――今後は海外市場での活動を広げていくという戦略でしょうか?

現在も世界中に拠点がありますが、更に強化していきます。その中で中核となる考え方は、日本のビジネスをそのまま持っていくのは辞めましょう、ということです。やっぱり、現地にあったビジネスやカルチャーがあるんです。また展開するIPも現地での調達や買収もアリだと言ってます。商品も国によって異なる商品に力を入れていきます。同様に、国によってゲームなのか、玩具なのか、施設なのか、映像なのか、バンダイナムコグループが持ってるポートフォリオを活かしてその国独自の展開を図っていきます。

今のバンダイナムコグループはまだまだ日本主導で日本が潰れると危ういです。でも万一、日本が駄目になったら、米国や欧州あるいはアジアが支えるような本当の意味でのグローバル企業を目指さなきゃいけないでしょうね。今はまだ日本から攻めていく段階。でも早期に各国がそれぞれの国を攻める体制に変えていきます。

―――各国の拠点がより自律的な組織になっていく

その通りです。いま海外に20社以上あるのですが、それぞれが自らビジネスを立案して実行する部隊になっています。本社にグローバル事業推進室という部署があるのですが、本社が世界に指示する部隊ではなく、世界各地の拠点が日本に持つオフィスという位置付けでやってます。各国での採用にも力を入れて、そこで生まれたものがグループを更に押し上げるという形になると良いですね。

―――最後に、今後のバンダイナムコエンターテインメントが目指す姿を聞かせてもらっても良いでしょうか?

2012年から社長をやらせてもらってますが、10年以内に世界各国に展開していく、そして今はない事業を立ち上げていくということを掲げました。そして目指す姿というのは、世界の人々にとって無くてはならない会社にすることです。ディズニーが無くなったら悲しむ人はかなりの数になるでしょう。でもバンダイナムコが無くなって悲しむ人はその1/100くらいかもしれない。それじゃあ寂しいですよね。エンターテイメント企業として、それくらい愛してくれる人を増やしていく。そうすれば数字は付いてくるはずです。そう長くやるつもりはありません。2020年の目標を掲げて邁進しています。これからも楽しみにしていてください。

―――本日はどうもありがとうございました

インタビュー取材後記:黒川文雄



大下さんと初めてお会いしたのは今からは12年前くらいだったと思います。大下さんがバンダイネットワークスの代表取締役に就任した頃で、私自身は、株式会社デックスエンタインメントを起業した頃と記憶しています。詳しい提案内容は忘れましたが、モバイルコンテンツかPC向けのオンラインゲームでの協業の提案だったと思います。

当時、すでに大下さんのバンダイグループでのiモードコンテンツへのチャレンジは話題になっており、玩具メーカーの老舗の関連会社が携帯コンテンツをやっているのか・・・と、バンダイグループの懐の深さを感じたものです。しかし、それ以上に感銘を受けたことは、起業したばかりの私の話を真剣に聞いていただき、さらには丁寧なアドバイスもいただきました。気取らない親身な対応は大下さんの人柄を感じたものでした。

その後、あっという間にバンダイナムコHDの取締役、バンダイナムコゲームスの常務、バンダイビジュアルの代表を経て、2012年にはバンダイナムコゲームスの代表取締役に就任されました。この間の異例のスピード昇任には驚かされると同時に、大下さんの手掛けてきたコンテンツのマルチ展開が促進される目の当たりにしました。

今回、このザ・インタビューズで取材させていただくにあたり、取材を一番楽しみにしていたのはかく言う自分自身ではなかったかと思うことがあります。それはバンダイナムコゲームスの社長ということはもちろんですが、それ以上に大下さんの人柄のルーツに触れることができるかもしれないと思ったからです。大下さんとの一問一答による経営観、未来へのビジョンから大下さんの人柄を感じとっていただければ幸いです。
《gamebusiness》

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