■変わり者を伸ばす環境と「ローカル=グローバル」の哲学
宮本氏のクリエイティビティを育んだのは、自然環境だけではありません。彼の周囲にいた「大人たち」の存在もまた、才能を独自の方向へ開花させる大きな要因となりました。
中学生になり、漫画を描きたいと思った宮本氏ですが、学校には漫画クラブが存在しませんでした。そこで彼は、美術の先生に直談判し「美術部よりうまい漫画クラブ」というキャッチフレーズのもと勢いでクラブを設立。文化祭でストーリー漫画を発表するなど精力的に活動していたそうです。ある時、美術の授業で描いた絵に対して、先生から「お前、この程度か。今回は手を抜いているな」と厳しい言葉を投げかけられたこともあるとか。その悔しさに奮起し、何度も描き直した経験は今も心に残っているそうです。
また、小学生時代の書道教室では、当時の恩師が普通の文字ではなく「象形文字」や風変わりな書体をお手本として書いてくれました。さらに、工業デザインの道へ進むと決意した高校時代には、「高校2年から専門の学校を目指すのは無理だ」と反対する声がある中で、「頑張ってみたら」と応援して背中を押してくれる先生や同級生もいました。このように「ちょっと変わった子」「ユニークな興味を持つ子」を型にはめず、むしろその個性を面白がり、伸ばそうとしてくれたコミュニティの寛容さが、彼の中に「自分の感覚を信じる」という強靭な軸を作り上げたのです。
そして、のちにクリエイターとして活躍し始めた30代の頃、宮本氏は「モノを作るなら東京に行かなければダメなのではないか」と、ローカル(京都)にいることへの焦りを感じていた時期があったといいます。しかし、コピーライターの糸井重里氏との出会いは、その考えを根本から覆しました。糸井氏らとの交流を通じて、自分のペースでのびのびとモノを作ることの価値を再確認した、というのです。
クリエイティブの姿勢として、「今、日本で流行っているものに便乗して作る」という手法を宮本氏は極力避けてきました。なぜなら、日本の特定の流行を前提とした作品は、世界という市場に持って行った時に通用しづらいからです。彼が選んだのは、「自分たちが面白いと信じるものを、自分たちの場所でじっくりと育て続ける」という道でした。
中心を東京とするか、京都をローカルと呼ぶか。しかし世界から見れば、どちらも等しくローカルに過ぎません。「極論を言えば、究極のローカルとは個人です。一個人が徹底的にこだわり抜いて作ったものこそが、人間の普遍的な感覚に触れ、結果的にグローバル(世界中)に通じていく」。これこそが、宮本氏の行き着いた哲学でした。
園部町での原体験という「極めて個人的でローカルな記憶」が、世界中の人々の心を揺さぶる共通言語となった理由は、まさにこのスタンスによって成り立つものだったのです。
■「悪くない」を捨て、「世界初」を創る独創の流儀
任天堂のモノづくりを貫くキーワード、それは「独創」という言葉に集約されているのではないでしょうか。日用品と違い、娯楽品は「誰もが欲しい」と思う魅力がなければ一つも売れない厳しい世界です。
この世界で生き残るため、宮本氏は「8対2の法則(パレートの法則)」に着目しています。この法則は、世の中の全商品のうちわずか2割の「独自性の強いもの(独占できるもの)」が、全体の売上の8割を稼ぎ出すというビジネス界の至言です。しかしこれは、裏を返せば「ユニークなヒット商品さえ生み出せば会社は存続できる」ということ。だからこそ、宮本氏のクリエイティブは、とことん「誰も見たことのない2割」を目指すのです。

任天堂の元社長である山内溥氏は「世界初」という言葉をこよなく愛したといいます。「他で見たことのないものを作れ。そうすれば、向こうから買いに来る。営業は無理に売るな」というトップの強烈な方針は、開発現場に「似たようなものを作ってはいけない」というポジティブなプレッシャーを与えました。宮本氏は「営業に対して次は何を作ればいいか、とは絶対に聞かない」と断言します。営業は今の市場で売れているものを求めますが、クリエイターの仕事は「今、世の中にないものを作ること」だからです。世の中に生み出されるモノの8割は「悪くはない」レベルに収まります。企画書を見せると「うん、悪くないですね」と言われる。しかし、宮本氏に言わせれば「そんな妥協の産物を作って何が楽しいのか」、と。「悪くない」ではなく「何これ!? 見たことがない!」と言われるようなものを作らなければ、大化けすることはないし、歴史にも残らない、というのです。

他社のゲーム機がひたすら最高性能と高画質を追い求める「レッドオーシャン」の競争に向かう中、任天堂は2画面のタッチペン操作(ニンテンドーDS)や、体を動かすコントローラー(Wii)といったインターフェースの革新へと向かいました。それもすべて「他で見たことのない独自性」を追求した結果です。
また、彼が開発現場のディレクターたちに徹底している「具体的な指示出し」のルールも興味深いものでした。「マリオの走る速度を、もうちょっと遅くして」といった曖昧な指示は絶対にしないといいます。「2倍にして」「半分にして」と具体的な数値を出す。アイデア出しに「いろいろ考えます」は許さず「あと3つ考えます」と言わせる。判断を保留するときも「ちょっと待って」ではなく「明日まで待って」と期限を切る。
「独創」という雲を掴むようなものを、大勢のスタッフと共に一つの「製品」として完成させるためには、こうした論理的で具体的なコミュニケーションが不可欠なのです。独創とは決して魔法ではなく、強烈なこだわりと冷徹なまでの具体性の同居によって生み出されるものだということがよく分かります。










