■ヒューとディアナの「バディ感」に、期待感が再燃

まず最初に期待を高めてくれたのは、ヒューとディアナの関係性です。システム監査員であるヒューは当然ながら大人であり、ディアナの見た目は可憐な少女です。この点だけに注目すると、ヒューが保護者、そしてディアナは守られるべき「弱き存在」として映ります。
しかし前述の通り、ディアナは高度なハッキング能力を持つアンドロイドです。彼女の力がなければ施設内の探索は進まず、戦闘でもヒュー単独では厳しい状況に陥るでしょう。

一見守られる存在に見える子どもが卓越した能力で大人を助け、そして大人はその身を挺して子どもを守る。この「大人×子ども」のバディ関係は、漫画や映画、小説などさまざまなメディアで魅力的に描かれ、受け手を魅了しています。
ヒューとディアナの関係からも、まさにその魅力を感じることができました。ディアナはアンドロイドなので、「子ども」と定義するのは正確ではないかもしれません。しかし、画面を通じて直感的に伝わってくる彼女の仕草や、ヒューとの関係性から感じるものは、理屈では抗いようのない確かな温かみがありました。

RPGやADVでは見かけることのあるこの関係性ですが、アクションゲームでは意外と多くありません。特に大作規模のタイトルでは守られる象徴として描かれがちなので、『プラグマタ』のような作品は珍しい存在です。
この関係をアクションゲームで体験できるのは貴重な機会なので、製品版への期待もおのずと上がらざるを得ません。
■低重力と宇宙服が生む「重み」の表現

ゲームシステムとは少し異なりますが、ゲームの作り込みとして印象的だったのが「重み」の表現です。もう少し具体的に言うならば、「低重力下の月面における、動きの手応え」が、驚くほど作り込まれていると感じました。
アクションゲームにおいて「動き」の完成度は、そのまま作品の魅力に直結します。動きが妙に重くて鈍かったり、動作に納得感のないレスポンスであれば、それだけでプレイを続ける気持ちが削がれてしまうでしょう。

『プラグマタ』体験版の舞台は月面なので、低重力環境ゆえに動きやすいと考えがちです。しかし、ヒューが着用している宇宙服は“ボット”の攻撃にもある程度耐えられるほど頑丈なので、重量も相応だと想像できます。
そのためか、ヒューの繰り出すアクションは、いわゆる他のアクションゲームの主人公のような軽やかさはありません。しかし、それは決して操作性が悪いという意味での「重さ」や「鈍さ」ではなく、「重い宇宙服を着ている感覚」が自然に伝わってくるような動きでした。

コントローラー入力への反応は機敏でありながら、動作からは確かな「重さ」を感じる。「重い宇宙服を着て低重力の月面を歩いたら、きっとこんな感覚なんだろう」と納得したほどです。もちろん、リアルの月面を体験したことがありませんが、想像する動きとゲーム内の挙動に違和感がなく、「リアル」かどうかは分かりませんが「リアリティ」は強く感じました。
こうした「動きの質感」にまでこれほどのこだわりを見せてくれるのであれば、他のあらゆるシステムや演出の完成度についても、同様に高い水準になるはずだと考え、ここでも期待感が高まります。












