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【コラム】『ペルソナ5』の海外高評価と“ジャンルとしての”JRPG

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【コラム】『ペルソナ5』の海外高評価と“ジャンルとしての”JRPG
  • 【コラム】『ペルソナ5』の海外高評価と“ジャンルとしての”JRPG
アトラスの手がけたRPGシリーズ最新作『ペルソナ5(Persona 5)』が海外でも評価を高めています。様々なサイトのレビューをスコア形式でまとめるサイトMetacriticでは、「マスターピース」「PS4で最高のRPG」といった賛辞の言葉とともに、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』と肩を並べる2017年のトップスコアをたたき出しています。

PS4のオールタイム・ランキングでも『メタルギアソリッドV』や『アンチャーテッド4』と並ぶ高いポジション。『ペルソナ2 罰』(83)、『ペルソナ3』(86)、『ペルソナ4』(90)、そして『ペルソナ5』(93)と、シリーズを重ねるごとにきれいにスコアが上がっているのも特徴です。

海外メディアGameSpotによるレビュー

すでに海外発売から数ヶ月が経過し、レビューらしいレビューは国内外にたくさんあるので、ここでは少し違うことを書いてみたいと思います。ちなみに筆者も100時間以上プレイし、すばらしい作品だと思っています。本稿は長文の内容となりますが、ネタバレはありません。

■『ペルソナ5』の“自然主義的”リアル


アトラスの新作RPG企画『PROJECT Re FANTASY』のコンセプトビデオでも触れられていますが、ペルソナは『真・女神転生』と併せ、「画一的王道」への対抗として生まれた作品でした。

ファンタジーと呼ばれる世界観においては、わたしたちが生きている「現実」に近いことは、リアリティの担保となりません。何が起こってもとりあえず成立する(したことになる)ファンタジー世界では、世界観の積み重ねによる既視感、それをとりいれる類型化によって、物語として成立するだけの説得力を持つことができます。要するに、どこかで見たことがあるような世界観によって、特定の世界観の自立は保たれるということです。

物語が成立しない、あるいはあまりにもたやすく成立してしまう環境において、物語は現実から離れ、自らを支える環境を再帰的に構築することでかろうじて生き残るのである。その環境においては、物語は現実に直面しないし、またする必要もない。
『ゲーム的リアリズムの誕生』(東浩紀著、講談社現代新書、2007年)73ページより引用


データベースから拾い上げ加工した要素の集積で、現実感を表現する「溢れかえる幻想世界」のRPG。スマホに“RPG”があふれる現在においても状況は変わっていませんが、今はここに「憧憬と追憶」―つまり「あの頃のRPGに似ていることへの正当化」が加わり、複雑な様相を呈しています。

そんな中でペルソナシリーズは、現代を舞台にした物語で異彩を放ってきました。『ペルソナ5』においても同様に、プレイヤーが生きている東京と同じ世界で、プレイヤーが経験した、あるいは経験している高校生活を舞台にした物語が展開されていきます。


『ペルソナ5』の強みは、異世界に対して「こんなのありえない」という違和感を堂々と表現できることにあります。ペルソナの力を発揮できる異世界は、実際に主人公たちが生きている現実とは異なる世界だという事実を、プレイヤーとゲームのキャラクターが共有できる。王道ファンタジーの異世界は、そこにいるキャラクターにとって現実ですが、ペルソナの異世界は異世界として存在します。

異世界があることで、対比的に現実のリアリティが強化されるというのも強みです。彼らが生活する世界にいるのは、ちょっと不良で正義の熱血漢、変人アーティスト、自分のイメージに悩む優等生、ひきこもりのオタク天才ハッカーといった仲間、インモラル教師やペテンの巨匠画家、悪徳政治家といった“彼らの正義に対する”敵。彼らのキャラクター造形は、よく見ればテンプレで既視感あふれるものです。

にもかかわらず、それに対しリアリティを感じるのは、とてつもない時間をかけて背景を描くことで、「キャラ」ではなく「キャラクター」として物語にとどまっていることがひとつの理由です。そしてもうひとつが、「ありえない」異世界との対比により、現実世界の「あるあるネタ=既視感」を「データベース」ではなく、「自分の経験」に近いものと錯誤する、つまり、ペルソナの物語を自然主義的な物語だと認識してしまうからだと思います。

自然主義的な物語は、ゲームやアニメといった枠とは異なるところで強固に存在しています。一般的な小説といえば自然主義的なものであり、ライトノベルと呼ばれる小説群はそれとは相容れないものとしてジャンル化していきました。文学は現代の社会を写すリアルなものであり、ラノベはそうではない、といった分断はより一層大きくなっています。

■「JRPG」という観光地


わたしたち日本人は、自らの経験と照らし合わせて『ペルソナ5』の物語や世界観を味わっている―そう仮定したとき、不思議に思うのは、海外のプレイヤーたちの感覚です。日本の高校生たちの学園生活、ドメスティックな風景は彼らにどう見えているのか。少なくとも東京と“TOKYO”くらいの違いはあるはずで、そのときこの世界はリアルではなく「奇矯性、官能性」を帯びた“観光地”のように見えているのではないか。

賛辞の言葉が並ぶ海外レビューには、同時に「JRPG」という言葉も溢れています。かつて『The Elder Scrolls IV: Oblivion』が世界を席巻したとき、「JRPG」は揶揄の対象でした。生活できるAIを持ったNPC、選択によって変わる物語、アクションベースのリアルタイム戦闘を持った“新しい”西洋のRPG。特定の台詞と行動しか持たないNPC、「いいえ」を選んでも「はい」と変わらない物語、コマンド型ターンベース戦闘といった“古い”JRPG―といった対比がありました。

わたしはこれを受け、別の記事で「JRPG=日本のRPG」ではなく、JRPGとは「西洋によって後進性、不変性、奇矯性、官能性といった性質を付与され類型化された“異質な”日本のRPG」とのことだと書きました

『ペルソナ5』はどうか。写実的リアルと差別化されたビジュアルや、ボーカル入りのサウンドトラック、テンポが良く戦略的な戦闘などの特徴の一方で、多くのNPCはキャラクターと呼べるほどの存在ですらなく、頻繁に差し込まれる選択肢は物語になんの影響も及ぼさず(※)、ファミコン時代から存在するシンボルエンカウント、戦闘専用画面への遷移、コマンド型のターンベースバトルを続けている。ベースとなるゲームデザインは数十年前と変わっていません。海外レビューの、本作は“Innovate(革新)”ではなく“Polish(洗練)”である―というのは的確な指摘だと思います。
(※)一方でこれを逆手にとった(?)仕掛けも仕込まれています。

世界観においては、オリエンタルな“観光地”のように「奇矯性、官能性」を帯びており、ゲームシステムにおいては、RPG黎明期から変わらない「後進性、不変性」を維持している。つまり『ペルソナ5』は、見事なまでにJRPGである、というのがわたしの考えです。


■JRPGという「ジャンル」へ


以前『FFXV』について書いたとき「海外のRPGの模倣ではなく、JRPGらしい異質さを抱えたまま、後進性や不変性を振り切って前に進む」覚悟を同作から感じた、と表現しました。一方で、正負あわせたJRPGらしさを抱えたまま、海外でも『FFXV』以上に高い評価を得た『ペルソナ5』についてどう考えたらいいのでしょうか。

もちろんこれは作品自体の出来によるもので、「革新性はあったが出来の悪い部分も多いFF15」と「目新しさはないけど隙のないつくりのペルソナ5」という言い方もできます。かつて革新的だったオープンワールドRPGが陳腐化し、後進的だと思われていた伝統的なRPGが、逆に新鮮に感じられるということもあったかもしれません。日本のアニメ・マンガ文化の人気の上昇も背景にあると思います。

かつて揶揄され、今は賞賛される。これはいずれも「JRPG」の固定化・ジャンル化の表れです。そこには、JRPGとはこういうものだ、という視点があります。すでにJRPGはひとつのジャンルとして扱われていますが、『ペルソナ5』の人気によって、さらに具体的に「JRPGは、シンボル/ランダムエンカウント、コマンド入力式のターンベース戦闘、紙芝居ダイアローグ、アニメ風のキャラクターデザイン、雑駁な世界観といったものがあるジャンル」なのだ、という見方になるのではないか、という懸念がわたしにはあります。

ゲームの進化にともなって、ゲームデザインやゲームシステムも進化する、というのは空論であり、求められるなら数十年前と変わらない古びたゲームシステムでも全然OK。むしろそういったRPGの伝統を守る役割を「JRPG」は求められている―。そうなったとき日本のRPGは、革新的なRPGに挑戦できるのか。

さらに言えば、海外の視線を意識するあまり、奇矯性や不変性といった要素をあらかじめ取り込んで、“JRPG”然としたRPGになっていくのではないか、と考えてしまいます。あたかも、話題の観光地が観光客の視線を先取りして、本来の姿を超えて「伝統ある観光地」としてふるまうように。

■「Re FANTASY」はペルソナへの対抗だ!


もうひとつ、王道への“対抗”として存在していたはずの『ペルソナ』シリーズが、これほどまでに受け入れられているという事実について考えます。「溢れかえる幻想世界」のRPGを退けて、ペルソナが「これこそJRPGだ!」と象徴化されたとき、もはやペルソナは対抗としての存在意義を失います。


アトラスが発表した『PROJECT Re FANTASY』は、「画一的な王道RPG」「溢れかえる幻想世界」への対抗を謳っていますが、実は、同じアトラスの『ペルソナ』への対抗なのではないか。邪道としてのペルソナの位置を確保するために、原点回帰、ゼロからのファンタジーという正道の作品が必要だったのではないか、と考えています。もちろんこれは筆者の勝手な憶測に過ぎません。

日本のRPGの「ジャンルとしてのJRPG化」。そこでは海外からの視線によって可能性が制限され、日本のRPGの多様性が奪われる、というのがひとつの見方です。一方で、日本のRPGが評価されたということは事実であり、「革新」はなくても現代的な「洗練」がなされることで、後進性、不変性といったネガティブなものが反転し、「伝統」という別のものになったという言い方もできます。

ただしこの言い方はひどく楽観的であり、たいした洗練もないままに「伝統」と「日本独特の文化(=奇矯性)」を頼みに“JRPG”がつくられ、日本のRPGが硬直化していく、という最悪の可能性も残されていると思っています。

◆「JRPG」をテーマにした過去の連載コラム一覧
https://www.gamespark.jp/special/75/recent/
《Kako》

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