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【俺の電子遊戯】第10回 ゲームよりモテたい! ジョイスティックをベースに持ち替えた日

メガドライブ版『テトリス』の販売中止から6ヶ月後、私は雨の秋葉原に立っていた。高校生活の一大イベント、修学旅行で東京へやってきたのだ。

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    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら


はじめての上京、はじめての秋葉原

メガドライブ版『テトリス』の販売中止から6ヶ月後、私は雨の秋葉原に立っていた。高校生活の一大イベント、修学旅行で東京へやってきたのだ。朝から夕方までの自由行動で、両国のホテルからまずやって来たのは秋葉原。電気店が開店する時間になり、ゲームソフトを取り扱う店先を覗いていると、なんとメガドライブ版の『テトリス』が販売されているではないか。驚く私、しかしパッケージをよく見てみると中国語。「海賊版かな?」正規版以外にはあまり興味のなかった私は「さすが秋葉原にはなんでもある!」と思ったものの、購入は見送り東京観光を続けた。

余談となるが、メガドライブ版『テトリス』が販売中止になった経緯をまとめると、セガがテトリスの権利を取得した権利元が正式に家庭用の権利を取得しておらず、『テトリス』のライセンスを調査した任天堂が89年3月に正式に家庭用の権利を取得。同年4月にはセガが権利を取得した権利元に対し任天堂がアメリカで訴訟を起こし、直接任天堂がセガを訴えたわけではないが、セガはこの訴訟を知りメガドライブ版『テトリス』の販売を見合わせた。その後、訴訟は任天堂が勝訴し、メガドライブ版『テトリス』はそのままお蔵入りとなってしまったのである。当時この様な複雑な業界話は知らず、私はゲームボーイ版『テトリス』が販売されブレイクしているのを横目に、任天堂がセガを妨害した! とメガドライバーあるある的な思想を持っていた時代がしばらくあったのはご愛敬。

閑話休題。地元より安く豊富なゲーム関連のアイテムに驚きつつ、クラスメイトがメガドライブ本体を購入する姿に男前! とエールを送り、秋葉原を後にした。その後は、浅草、タレントショップで賑わう原宿、前年に開業した東京ドームなど観光地めぐりを行い、ホテルに戻った。ホテルではメガドライブを購入したクラスメイトが、部屋のテレビにメガドライブを接続し、発売されたばかりの『スーパーハングオン』をプレイしていたのだ。そうなると私もゲーム好きの血が騒ぎ、その部屋に入り浸り、夜中まで延々と『スーパーハングオン』をプレイ。クラスメイトにメガドライバーがひとり増えたことに喜びを感じた修学旅行だった。


大本命のスーパーファミコン1年の発売延期、加速するメガドラ愛


前年の発表会で89年の7月の発売日を公表していた、スーパーファミコンだが発売は延期され、次にアナウンスされた発売日は、来年夏以降とされた。PCエンジン、メガドライブとファミコンより高性能なハードが発売され、ソフトもファミコン時代には脳内補完がかなり必要だったアーケード版の移植作も、オリジナルに近い表現が可能となった。アーケードを頂点としたヒエラルキーでビデオゲームが好きだった私やゲーム好きのクラスメイトの中では、PCエンジン、メガドライブをメインでプレイした。私も特にメガドライブに肩入れし、月のおこづかいや夏休みに近くの海水浴場で稼いだバイト代などを資金とし、『スーパーリーグ』『スーパー大戦略』『サンダーフォースII MD』『北斗の拳』『大魔界村』『スーパー忍』『TATSUJIN』『ゴールデンアックス』など月に1、2本ほどしかソフトがリリースされない中、時にはPCエンジン派の友人と本体、ソフトをまとめて交換しあったりと当時のゲームライフを楽しんでいたのである。


次のブームはこのバンドだいっ!

ゲームライフを楽しむかたわら、もうひとつ大きなブームが私を襲った。それは、アマチュアバンドが勝ち抜き形式でプロデビューを勝ち取るテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」通称「イカ天」に端を発するバンドブームだ。四国の地方都市に住む私のところにもバブル時代に起こったこのブームは、ボンクラ高校生の日常を変化させるだけの力があった。中学生時代にいつもゲーセンに通い、その華麗なプレイでゲームの師匠格であった友人のリョータも、高校生になってからはゲーセンでその姿を見かけなくなり、部活に励んでいるという噂を聞いていた。私は相変わらずゲームをプレイしていた。特に他人に誇れることなど特になく、学校の成績も決して良いとも言えず、やっていたことといえば、ビデオゲームと深夜ラジオ番組への投稿ぐらいだった。

そんなある日、中学時代からリョータと私と共に3人でいつも遊んでいた友人、ユースケからバンドをやらないか? と誘いがあった。私と別の高校に通っていたユースケは、たまり場となっていたひとり暮らしをしている友人のアパートへ私を誘ってくれ、すでにバンドを組んでいた知人などを紹介してくれた。「ここらで俺たちも一発ブチかまそうぜ」「バンドをやったらモテる!」ブスブスとくすぶった灰色の高校生活を送っていた俺にはユースケと友人たちの言葉が響いた。そう、モテたかったのだ。ふと、部屋の中にあるテレビを見てみると『高橋名人のBugってハニー』が刺さっているファミコンがあった。暇つぶしのためのゲームなんだろうが『Bugってハニー』はないよなぁ~と思いつつ、バンドのメンバーになることを承服した。その年のお年玉はゲーム機、ゲームソフトではなく、知人の姉からエレキベースを譲ってもらう資金となった。


自宅でのゲーム環境とプレイする『ドラゴンクエスト』

年が明け1990年。買い替えで使わなくなったテレビを自室に設置し、自分専用のテレビを入手したことで、中学生の頃に言い渡されていた自宅での「ファミコン禁止令」はすでに形骸化していた。メガドライブを購入した時は「これはファミコンじゃないからセーフ!」という独自の理論をかざし、強引に家庭でのビデオゲームプレイ権を回復させた私だったが、結局ファミコンは兄が所有しており、自室にテレビを設置するまでファミコンを自宅でプレイをすることはできなかった。当時兄は、試合をスキップできずシーズンを終了させるのに恐ろしく時間のかかる『ベストプレイプロ野球』や移動でストレスフルな『ファミコンジャンプ英雄列伝』、『京都花の密室殺人事件』あとは光栄の歴史シミュレーションなどをプレイしていたが、この年の3月に高校を卒業、予備校通いで実家を出ることになり、自宅でのファミコン所有権は弟たちに移ることになった。

ここまで来ても私には、自宅のメインテレビでファミコンをプレイする権利は回復していなかったが、ファミコンは『ドラクエ』などの続編か、たまにオリジナルの良作が出るハードとぐらいにしか認識しておらず、特に困ったことはなかった。兄のプレイを眺めるだけであった『ドラクエ』シリーズの最新作『ドラゴンクエストIV』がリリースされた時は、兄は大学受験でそれどころでなく、ユースケがファミコン本体ごと貸してくれ、自室でAI搭載の進化した『ドラクエ』をプレイした。毎日の話題が『ドラクエ』のことだけだったロト三部作の時代とは違い、ゲーム好きのクラスメイトや友人内では多少話題となったが、バンドをはじめて私のゲームに対する熱量が下がったこともあり、今思い出しても熱狂的にプレイしたという記憶はなかった。

ジョイスティックよりエレキベースを握る時間、ゲームセンターよりバンドの練習スタジオに通う時間が増えてきたこの時代、スーパーファミコンの発売日はまだ90年夏のまま、私は高校3年生になっていた。


記事提供元: Game*Spark
《Game*Spark》

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