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【俺の電子遊戯】第6回 RPGへの憧れと『ドラクエ』プレイ観戦

「独占スクープ ファミコン史上最強のゲームが登場!!」と大見出しが踊り、小見出しに「これこそが本当のロールプレイングゲームだ!」と記された『ドラゴンクエスト』なるゲームが紹介されていた。

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    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら

ファミコン史上最強のゲームが登場!!

1986年2月、火曜日の昼休みいつもの様に週刊少年ジャンプを回し読みしていると、ファミコン情報のコーナーに見開きで、「独占スクープ ファミコン史上最強のゲームが登場!!」と大見出しが踊り、小見出しに「これこそが本当のロールプレイングゲームだ!」と記された『ドラゴンクエスト』なるゲームが紹介されていた。モンスターデザインにはジャンプ誌上で「ドラゴンボール」を連載中の人気漫画家、鳥山明氏を起用。その大作感あふれるテイストに、一緒にジャンプを読んでいたクラスメイトも、「俺次はこれ買うよ」と期待していたが、アーケードゲームが好きだった私は同時に掲載されていた『マグマックス』移植作の方がむしろ気になっていたのだ。

『ハイドライド』『ドラゴンスレイヤー』『ザナドゥ』『無限の心臓』パソコンゲームの情報誌でアツく紹介され、誌面でしか体験できなかった、RPGという未知の世界のジャンルが、ついにファミコンにもやって来る。同年2月末には、ファミコンにディスクシステムが登場し『ゼルダの伝説』が発売、3月には『ハイドライド』のファミコン版『ハイドライドスペシャル』が発売されるも、私の周りではコアなゲーム好きの間でしか盛り上がらず、期待した『ハイドライド』の移植もいまひとつだったことで、RPGってそんなに面白くないんだな…と、当時主流のアクションやシューティングが好みだった私はそう思っていた。


『ドラゴンクエスト』静かなる船出

1986年5月27日『ドラゴンクエスト』は発売された。発売してしばらくすると、我が家でも兄が『ドラゴンクエスト』を購入して、プレイを開始していた。私ほどゲームにのめり込まなかった兄だが、鳥山明、『ポートピア連続殺人事件』などのヒット作を手がけるエニックスのコンビに前々から注目していたという。当時すでに自宅でのファミコンプレイ禁止を言い渡されていた私にとって、長時間のプレイが必要となるRPGは見ることしかできなかった。しかし『ドラゴンクエスト』は見ているだけでも楽しいのだ。自分が操作できなくても、兄がプレイする画面を見ているだけで手に汗にぎるドラマを画面の中に感じていた。

『ドラゴンクエスト』はジワジワとクラスメイトの中でもブームになっていく。話題の中心は、今のレベルや攻略の情報交換。私は兄のプレイを見て得た知識を、さも自分がプレイしたかの様にクラスメイトとドラクエトークで盛り上がった。ゲームの中でキャラクターを成長させながら、壮大なストーリーを体験させてくれる『ドラゴンクエスト』の世界に私も夢中になっていたのであった。


その宝箱を開けて、旅のしたくをととのえるがよい

1987年1月26日、廊下ですれ違ったゲーム好きの同級生に「カワサキとヤマちゃん今日休んでいるぞ、絶対ドラクエIIやるためのズル休みだぞ」と情報をもらう。そう、この日は『ドラゴンクエストII』の発売日だったのだ。日々ゲームセンターでおこづかいを消費していた私にとって、誕生日、クリスマス、お正月。この三大イベント以外でゲームソフトを買うことは不可能だった。が、すっかりビッグタイトルとなっていた『ドラゴンクエスト』の最新作をいち早くプレイして、レベル上にに勤しんでいる同級生がいると知ると、悶々とした気持ちとなる。そんな気持ちで残りの授業を受け、今度のドラクエはパーティープレイなんだよな…どうやって仲間を見つけるんだろう? など自分はソフトを購入の目処すら立たないのに『ドラクエII』のことで頭がいっぱいになっていた。

その日の夕方、兄が帰宅するとおもむろにファミコンをセッティングしはじめた。もしや! その予感は的中し、青いパッケージから『ドラゴンクエストII』を取り出しプレイを始めたのであった。再開のパスワードとなるふっかつのじゅもんは、前作の20文字から最大52文字まで拡張され、パスワードの取り間違いを防ぐために兄は、教会や城で3回パスワードを聞き、3つのふっかつのじゅもんメモを必ず取るほど慎重にプレイをしていた。私は相変わらず、兄のプレイを見ていた。


ゆうべは おたのしみ でしたね

家族の目を盗み、親や兄が家にいない時間帯や家族が寝静まった深夜にこっそりプレイをして、少しずつだが『ドラゴンクエストII』を私もプレイを行った。プレイができない時は、雑誌「マル勝ファミコン」付録のワールドマップの大判ポスターを広げ、航行ルートなどを考えたりと夢中になっていたが、この親の目を盗むプレイでは、終盤のロンダルキアへの洞窟がどうしても越せず、結局兄のプレイを見て、攻略した気分になるパターンとなったのだった。自分では苦戦したロンダルキアへの洞窟を抜けて画面に広がる銀世界の美しさに思わず声がでるほど興奮し、ますます『ドラクエ』シリーズの虜となっていった。


オタクも こどもも ヤンキーの兄ちゃんも



1988年2月10日、当初予定されていた昨年12月の発売予定から延期されること2ヶ月、ついに『ドラゴンクエストIII』が発売された。その熱狂っぷりは、当日のTVニュースや翌日の新聞紙上でも、発売に大行列が出来たり、平日なのに行列に並んだ児童生徒が補導される、購入後にソフトを路上で恐喝される、などのニュースが報道されるほどの社会現象となっていた。

夜、高校生となっていた兄が、おもちゃ屋の紙袋を片手に帰宅する。紙袋の中身は『ドラゴンクエストIII』だ。ゲームに夢中になっている感じではないものの、ファミコン通信を毎週購読し、ここ一番の注目作をきっちり発売日に手に入れる兄に感謝しつつ、また今作のプレイ観戦がはじまった。


そして伝説へ…

極限までつめ込まれたプログラムのおかげで、タイトル画面は無音で真っ暗な内径に文字だけとなったという逸話も雑誌の記事で知り、その期待感に見事に答えてくれるスケール、職業選択、転職システム、ゆせまそ。学校では日々、パーティー構成は? どこまで進んだ? 今のレベルは? リセットボタン押しながら電源OFFしなかったおかげでデータが消えた! と普段ゲームのことをあまり話さないクラスメイトとも『ドラクエIII』トークで盛り上がった。私は相変わらず、兄のプレイを見たことを話していた訳だったが。

『ドラクエIII』が盛り上がるチョット前、正月に私はお年玉でセガのマスターシステムと『ファンタシースター』を購入し、なめらかな3Dダンジョン、音色豊かなFM音源と独特のSFファンタジーな世界観にどっぷりとハマっていた。しかし、セガハードという少数派のおかげか、この楽しさはほとんど他人と共有できなかった。セガにも『ドラクエ』に負けないゲームがあるのにと、マイノリティの悩みを抱えつつ、『ドラクエ』シリーズの凄さに思わず、セガハードに『ドラクエ』シリーズ移植してくれないかなぁ…と叶わぬ夢を抱く中学3年生の私。リアルでは人生第一の分岐点、高校受験が目前まで迫ってきていたのであった。

記事提供元: Game*Spark
《Game*Spark》
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