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今更聞けない百合ヒストリー第3回~独断と偏見による百合概論と歴史について、GWなので本気出して考えてみた~平成中・後期 令和の百合に向けて~

今回は、読者の皆様にも馴染みのある「平成中~後期の百合」についてです。

その他 全般
『マリア様がみてる』
  • 『マリア様がみてる』
  • 『コミック百合姫』公式サイト
  • 『Bang Dream! ガールズバンドパーティー』
  • 『少女歌劇レビュースタァライト』
※UPDATE:本文を一部修正し、修正内容を追記いたしました。

こんにちは。編集部から「GWなので百合について語ってみませんか」という悪魔のささやきに誘われて、うっかりメディアに自分の拗れた性癖を晒してしまったライター、永田たまです。

身内からの反応は

「掲載許可したインサイドがすごい」
「闇を感じる」
「めっちゃ早口でしゃべってそう」

等、おおむねどれも正解です。死にたい。

さて今回は、ようやく読者の皆様にも馴染みのある「平成中~後期の百合」についてです。
今回長いですから頑張ってください。

「S」の継承者たるか「マリア様がみてる」



さて、「少女革命ウテナ」によって百合を取り巻く世界が革命され始めた1997年。

最初の記事において、「新しい文学=ライトノベルの受け皿」として登場した雑誌Cobalt。
1997年、この雑誌に作家、今野緒雪氏の短編小説「マリア様がみてる」(マリみて)が掲載されます。

それまでも新井素子氏の「扉を開けて(※1)」、氷室冴子氏の「クララ白書」や久美沙織氏の「丘の家のミッキー」等、少女同士の絆を描いた作品を出してきたCobaltでしたが、マリみては完全に「そっち」に振り切った作品でした。

※1:5月8日追記 「扉を開けて」の初出はコバルト文庫ではなくCBSソニー文庫であり、コバルトへの移籍出版は1983年でしたので、時系列に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。

幼稚舎から続くミッションスクール「リリアン女学園」高等部に、自分の意に反して入学してしまった乃梨子。
同級生を「さん」づけで呼ぶ、挨拶はごきげんよう、マリア像の前でお祈りをする……など普通の女の子だった乃梨子にはいまいち馴染めないお嬢様学校の文化。
その中でも一番違和感があるのが、「スール」と呼ばれる制度。フランス語で「姉妹」を意味するこの言葉は、上級生と下級生が1:1の特別な「姉妹」となり、お姉さまと妹の濃密な時間を過ごす、というリリアンの伝統。自分がだれかの姉妹になるなんて考えられない、マイペースに学園生活を過ごそうと決意する乃梨子でしたが、ひょんなことから学園の憧れの的、「山百合会」(生徒会)の役員である「白薔薇さま」(ロサ・ギガンティア)藤堂志摩子と出会って……。

この短編では乃梨子という「普通(とも言い切れないけども)の女の子」が、リリアンという異文化に飛び込み、はみ出しながらもその異文化を受け入れ、特別な誰かと絆を結ぶまでの様子が描かれており、作中最後では乃梨子は「お姉さまとかそういうのはよく分からない」としながらも、「志摩子さんと一緒にいたい、助けたい」、そのために妹という立場が一番便利なら、という自分なりの決意で姉妹になることにします。
(この辺、「反転した「丘の家のミッキー」と言える作品でした)

当初志摩子と乃梨子の物語として描かれた本作は、少女小説雑誌レーベルとして不動の人気を誇っていたCobaltの中の異端であり、短編としての掲載でした。

しかし意外なことに、このオールドタイプともいえる「ミッションスクール」「女学園」「お姉さま」等の世界観が反響を呼び、シリーズ刊行と連載がスタート。

初出であった志摩子と乃梨子の物語は既に完成されているので、シリーズ化にあたり、初出では名前さえ無かった主人公、福沢祐巳を選出し、その姉となる「紅薔薇のつぼみ」(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)小笠原祥子との新しい姉妹を描き始めます。

この作品は少女向け小説としては異例の大ヒットとなりコミカライズ、アニメ化、実写化と多数のメディアミックスも行われました。
実に完結までのおおよそ15年に渡りコバルト文庫の看板作品として貢献し、今なお高い人気を誇る名作となりました。

「花物語」と「マリみて」~想像的少女集合体から現実的少女集合体へ~


さて、祐巳を主人公として正式にスタートした「マリみて」。この作品には大きな「百合の転機」が示されていました。

「S」と「スール」、女学校が舞台……等、花物語とマリみての類似性は早くから指摘され、現代版花物語であるとされていたマリみてですが、そこには大きな差異を見出すことができます。

それは「日常の逆転=非日常性の喪失」です。

花物語にみられる「S」のキーワードが「非日常性」であることは、連載1回目で述べた通りです。
「特別なこと、他の人と違うことをしている」「男社会へのひそやかな反抗の同士」として成立した「創造的少女集合体」は、「何かに抗う手段として絆を結ぶ少女たち」と言い換えることが出来、ウテナやセーラームーン、魔法少女戦隊もまさにコレでした。悪の組織だったり、「世界」と戦うという「非日常」のために絆を結ぶのです。
多くの場合、その戦いは一般人には秘匿され、彼女らの強い絆の理由は「秘密」になります。
ここまでの想像的女子集合体の共通項は「非日常」「秘め事」「それによる連帯感」だったと、ここで今一度定義します。

しかし、マリみては違います。

「なぜ姉妹(スール)となるのか」というところに、世界を変えるような秘密は何一つありません。
だって「ここ(リリアン)ではそれが伝統で、それが普通だから」。
たったそれだけで、外界と違う常識の存在を納得させてしまいます。

では「外の世界」からの差別にさらされるのかと言えばそうでもありません。
もともとリリアンは卒業生がその子女や類縁者を入学させる傾向が強く、教師にも卒業生が多い。
つまり普通の設定であれば咎めるべき教師や大人も「姉妹(スール)」に理解があり、応援さえしてくれたりする優しい世界なのです。
もっと言えばお隣にある「花寺学院」という男子校にも「烏帽子」という男子版後見人制度があり、リリアンに近しいところにいる人たちは男子までも、「姉妹」(スール)制度に理解があるのです。

つまり前提として「姉妹(スール)」になるのは特別なことでも非日常でもない。
リリアンにいるものにとっては(接する外界も含めて)普通のこと、として存在する「日常」なのです。

それまでの「S」を代表とする「創造的女子集合体」が表していた「秘めた関係性」という女子同士の絆の理由の消失。
(これ自体は「丘の家のミッキー」や「櫻の園」でも限定的に行われていましたが、外の世界からは奇異な目で見られる学園限定の閉じた世界での話だった)
少女たちが接する主な外界や、立ちはだかるべき社会、男性、大人たちの誰もがその関係を咎めない。
(父権社会への抵抗の同士としての連帯感の喪失)

「女学校もの」「Sに通じる姉妹制度」という「花物語」に通じるクラシカルな舞台を使いながらも、それまでの「創造的少女集合体」における女性同士の絆の動機の一切を使わない、それまでの百合作品と実は全く違う作品なのです。

宝塚という「現実的少女集合体」の祖である集合体が「どうして女の人が男役をやるのか」「どうして厳格な共同生活を強いるのか」という根源の疑問点を「そういうものだから」として強引に存在させ、女性だけでなく男性にもヅカファンが生まれたり、出だしは多少強引でも世間に受け入れられているのとまったく同じ状況です。
マリみては創作作品でありながらその舞台を、ヒロイックな「創造的少女集合体」から、日常としてそこにあるのだから四の五の言うべきではない、という「現実的少女集合体」への転換を遂げた、歴史のターニングポイントと言えるでしょう。
それが「ウテナ」によって「(百合の)世界が革命された」後に起きたことと考えると非常に興味深い話です。

そして、もう一つの特徴が「姉妹愛」と「恋愛」は別軸として共存する可能性を明確に1作目から書いたということです。
そもそも祐巳が祥子の妹に指名されるきっかけは、祥子が恋心を拗らせている許嫁のことが理由の一つですし、シリーズ途中で黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)たる江利子は、熊と見間違う容貌の子持ちのシングルファザーと恋に落ちます。
だからと言って彼女たちが姉妹(スール)に「裏切者!」と言われるようなことはありません。
もちろん絆が高ぶって、姉妹のつながりを飛び越えた感情や独占欲を発露させてしまう登場人物もいますが、全体の登場人物を通して言えば少数派です。
(ちなみにそんな少数派ガチ、佐藤聖の過去と現在を描いたシリーズ3作目「いばらの森」は涙無くしては読めませんのでおすすめです。筆者は白薔薇派です)
登場人物には男性に恋をしている人も上述のようにいますが、いまだ恋を知らず、姉妹の絆の中で生きている人も多い。だけどその彼女たちが時を経て異性と恋愛「するかもしれない」可能性を否定せずに置いたのです。男性と愛し合い、結婚することは裏切りでも悲しいことでもないのです。

この「父権社会へのアンチテーゼ」を一切排除した新しい百合は、それまでの雑誌Cobaltのメインターゲットである少女たちだけでなく、多くの男性ファンをも擁することになり、部数を大きく伸ばすことになります。

「コミック百合姉妹」(現、百合姫)


「コミック百合姫」公式サイトより

マリみての大ヒットの後、「姉妹(スール)」を女性同士の恋愛と短絡的に受け取った世論もあり、「女性同士の恋愛」をテーマにした作品が、アニメ・マンガ界に急激に増えました。
掲載誌、媒体、出版社もバラバラに散逸的に起こり始めたブームを集約する目的のため創刊されたのが雑誌「百合姉妹」(2003年発刊)です。
現在では百合漫画雑誌「百合姫」として名を変えていますが、発刊当時は漫画作品と並行した「百合情報の集約」と「百合に関する読み物」が特徴的でした。

当時既にインターネットの家庭普及率は6割を超えていましたが、個人……特に学生においては携帯電話でアクセスできる情報には限りがあり、ひとりに一台パソコン、という時代でもなかったため、百合に興味を持っても紐づいた情報を得ることがまだまだ難しい頃。
一般の書店で買える「雑誌」という形で、集約された百合情報を手に入れられることは、マリみて以降に百合に惹かれるようになった若い世代の百合愛好家を増やすことに多大なる功績を残したと言って間違いありません。

「コミック百合姫」と名を変え一迅社に移ってからは、漫画連載陣は同社の虎の子のBL作家が平行して百合を執筆するパターンも多くありましたが、後に「ユリ熊嵐」でキャラクターを担当する森島明子氏など、百合をライフワークと定めた作家たちの数少ない作品発表の場でもあり、また直木賞作家となる三浦しをん氏のエッセイなど、後の百合文化をひも解くにあたって重要な資料となっています。

この「本屋で手にとることができる百合」の存在は、ますますもって百合をそれまでの「秘めたもの」という呪縛から解き放ち、BLと同じような「文化」としての百合の成立を意味していました。

創刊時の表紙は、単行本版「マリア様がみてる」のイラスト担当でもあったひびき玲音氏ということも、この創刊がマリみて以降の「新しい百合」を意識していることは間違いないでしょう。

想像と現実のはざま~戦う百合から「ゆるい日常」へ~


さて、マリみての大ヒットによって「現実的少女集合体」すなわち「戦わない少女の絆」=百合という概念が受け入れられたこの時期において、それでもまだコンテンツ産業において百合の立ち位置や扱いは揺れ動いていました。

特にダイナミックな表現を求められるアニメにおいては、漫画や小説では丁寧に書き込める「繊細な感情の発露」と「間」を表現することが難しく、どうしてもバトルものが受け入れられやすい傾向があります。

その中で百合という新しい関係性をどのように描いていくか……。模索する中で、ロボ×百合の名作がいくつか誕生。
「少女同士の特別な感情の結びつきによるヒロイックドラマ」として描かれた「神無月の巫女」や、女性しかいない世界でバディを組む「シムーン」。ハードボイルドガンアクション×百合の名作「Noir」など、意欲的な作品が誕生していきます。「戦う百合」と「戦わない百合」過渡期の中で生まれた名作たちです。

一方で、百合以外のコンテンツ産業に目を向ければ、「日常系」の波が緩やかに迫ってきていた時期でもあります。

「あずまんが大王」で初めて名称化された「日常系」は、「読者(視聴者)を飽きさせない展開=ジェットコースターのようなドラマチックな展開」を是としていたコンテンツ産業において、ただひたすら登場人物たちの日常をゆるゆると描き、読者は傍観者となってただそれを眺めるという、表現の新しい構造でした。

ここで2回目の記事で登場した、「少女×複数+傍観者」という、セーラームーン以後変化した「魔法少女ものの新しいセオリー」が、「戦闘」「世界を滅ぼす敵勢力」「魔法で変身」という要素を抜いた形で顕現します。

同じ学校に通う少女たちの日常のちょっとした話題やゆるい騒動。特に大きなドラマチックな波もなく、ただほんわかとした日常を過ごしていく少女たちと時間を共有し、その風景を読者は「空気的存在」のようにただ眺めて癒される。そして気が付いたらいつのまにか、卒業という大きな喪失がやってくる……。そんな新しい「物語」が生まれ始めたのです。

読者を物語に「引き込む」のではなく、「傍観者」としてそこに置くという日常系。マリみて以降の「戦わない百合」「新世代の百合」はこの新しい物語にこの上なくマッチすることに気付き始めた作家たちによって、数々の「少女を描く日常系」が生まれます。

毎話「誰か」へ近況を報告する手紙、という形で展開するSF少女日常系「ARIA」、高校生の「お姉ちゃん」が見守るかわいい小学生女児たちの日常「苺ましまろ」、女子高生が集うひだまり荘での毎日を描く「ひだまりスケッチ」、もはや説明の必要がない「けいおん!」、スクールアイドルを目指す少女たちの物語「ラブライブ!」などなど……。

百合とは明言せずとも、非常に百合百合しい、「そこに男子が介在しないことに何の疑問も抱かせない日常」が続く物語(卒業というラストはありますが)。
視聴者(読者)も「なんとなくこれ百合っぽいなー」と思ってはいるものの、そこまで深く考えることもなく享受することができる少女×複数+傍観者の世界。

「百合」という関係性をガッツリ全面に押し出し、それをセールスポイントにしてきたのは……

ついにタイトルにつけちゃった「ゆるゆり」

コミック百合姫の人気連載作であった「ゆるゆり」が、まさかの全国ネットアニメ化。このニュースに百合界隈はざわつきます。
だってタイトルに「百合」って入っちゃってるし!
しかしこのゆるゆりは、それまで「女の子同士の日常のわちゃわちゃが好きだけど、これをなんといえばいいのか分からない」という一般層へ「これは百合というのだな」と知らしめる役割を果たすことになりました。

と、同時に。

コンテンツの作り手たちも、百合は新しい関係性のあり方として定着していくのです。

女の子同士のキスをテーマにした「桜Trick」、百合好きを公言する主人公「まりあ†ほりっく」等など、男性層へ強くアプローチする作品も出始め、自分が傍観者になり女性同士を見守りたいという欲求を持つ男子が主人公の「百合男子」など、百合を取り巻く表現は多様化していきます。

ブシロードの台頭


日常系と融合することにより発展を遂げた平成中期の百合。
そのままゆるゆると進んでいくかと思われた百合文化に、平成も終わりを迎えるころになって、突如として核ミサイルをブチ込んできた企業が顕れました。

「ブシロード」

最初の衝撃は2015年、突如発表されたプロジェクト「BanG Dream!(バンドリ)」でした。
ギターの弾ける声優「愛美」を中心としたガールズバンド・メディアミックスプロジェクトとして発表された本作。
アニメはバンドメンバーとの出会いや、憧れのガールズバンドとの共演や成長を描いたもので、音楽の技法のあれこれなどよりも、「バンド」という共同体の中での女子同士の関係性に焦点を当てたストーリーで、こちらも百合としては申し分なく。

ですが本領はどちらかというとゲームの方。『BanG Dream!(バンドリ) ガールズバンドパーティ!』です。

『Bang Dream! ガールズバンドパーティー』
プレイヤーはライブハウスのスタッフという立ち位置。
そのスタッフにキャラクターたちが入れ替わり立ち替わり「今日の百合話」を語って聞かせてくれる設計。
「少女×複数+傍観者」の傍観者そのもの。

ストーリーに介入も出来なければ、何かを相談してくれることもない。
この手のゲームだとプレイヤーに女の子が何か相談して、選択肢で答えてあげて、その結果で女の子が元気になったりする、多少なりとも
「プレイヤーがキャラクターに干渉する」という余地が残されているのが常です。
が、ガルパにはそれがない。完全なるモブ。っていうか空気なのです。

百合好きの間でよく言われるのが「空気になって見守りたい」ですが、それをゲームで再現してしまったのです。なかなか出来ることじゃない……。

温故知新 あえて今、遡る「旧き百合」。「少女歌劇レヴュースタァライト」


『少女歌劇レヴュースタァライト』
「バンドリ」・『ガルパ』で「ヒットの予感」を掴んだブシロードは、畳みかけるように次の展開を始めます。

「少女歌劇レヴュースタァライト」

いわゆる2.5次元の舞台を元としてメディアミックスする、演劇学校を舞台にした少女たちの群像。

現在の「新しい百合」のムーブメントのさなかに、あえてクラシックスタイルの百合を当て込んできました。

「ある日突然巻き込まれる不思議な戦い」「謎の力によって戦えるようになる」という魔法少女モノのセオリー。ですがそこはブシロード。「共通の敵を打ち倒すために絆を紡ぐ」というオールドスタイルから一歩脱却した「バトルロイヤルで少女たちが戦いトップに立つ」「その戦いの中で少女たちが成長し、絆を紡いでいく」という、同社が少年向けバトルコンテンツで得意とするスタイルを踏襲して、物語に緩急を与えていました。

宝塚をほうふつとさせる設定、ウテナを思わせる不思議な世界観を2.5次元とアニメで再現した名作であり、これからの「さらに新しい百合」へのヒントに満ちた作品です。

総括……令和の百合~もはや百合は秘め事ではない~


ここまで語った百合の歴史ですが、筆者は平成までの変化は

「非日常、秘め事であり、悲しみを背負うが故の美しさ」であった大正期のSから、平成の「百合」は徐々に「少女たちが戦う強さを手に入れ、世界を『戦う必要のない平和なもの』へと変容させ勝ち取った『日常』」だと考えています。

百合はもはや非日常ではなく、平和でも、戦うものが無くても誰しも等しく甘受してよい関係性なのだと。

もちろん現在においても、私が定義するところの「想像的少女集合体」的百合作品を紡ぐクリエイターはたくさんいますし、そういった切ない名作もたくさん生まれています。
(誤解無きように言うなら、私は旧時代の人間なので、そういった「悲しみや秘め事を抱えたオールドタイプの百合」が大好物です)

ですが平静の最後に現れた「スタァライト」は、あえてそこへ「戦い」というキーワードを逆行して差し込んできました。
戦いの中にも「日常の百合」を差し込むことができると見せつけてきたわけです。

もはや秘めることも背負う悲しみも必要としなくなった「百合」が、令和にどのような変化をたどるのか……。
もしくはそれは変容ではなく、「旧き百合」も「新しい百合」も内包する多様に枝分かれした大樹の誕生なのか……。

令和を迎えることのできたこの身尽きるまで、百合を見つめ続けたいと思う次第です。
《永田たま》

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