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【CEDEC2010】基調講演 コーエーテクモ松原氏「開発者にとって普遍的なものを得る場に」

CEDEC初日の31日、コーエーテクモホールディングス代表取締役社長で、新しくCEDECフェローに就任した松原健二氏が、「CEDECとは?-そのもたらす価値の追求-」と題して基調講演を行いました。

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CEDEC初日の31日、コーエーテクモホールディングス代表取締役社長で、新しくCEDECフェローに就任した松原健二氏が、「CEDECとは?-そのもたらす価値の追求-」と題して基調講演を行いました。松原氏は80年代から90年代にかけて、IT業界の元エンジニアとして活躍した体験を振り返りながら、CEDECの価値について改めて問いかけました。

CEDECフェロー・松原健二氏


今でこそCEDEC、そしてコーエーテクモの顔として著名な松原氏ですが、業界では有名なように、異業種からの転職組です。その経歴を改めてひもとくと、東京大学大学院情報工学課程を修了後、1986年日立製作所に入社。MBAを習得後、97年に日本オラクルに転職。2001年にコーエー(当時)入社。『信長の野望 Online』などのプロデューサーを経て、2007年に執行役員社長COOに就任。2009年から現職となります。

このように80年代から90年代にかけて、IT業界の最前線でエンジニアとして活躍した松原氏。日立製作所ではマイクロプロセッサの設計に携わり、日本オラクルではデータベースをはじめ、ツールやアプリケーションの開発マネジメントに携わります。「THE日本」的な会社と、西海岸の社風を持つ外資系企業。ハードウェアとソフトウェア。そしてエンジニア、プロデューサー、経営者と、さまざまな職種を経験してきた松原氏だけに、講演は年輪を経て熟成された、重みのある内容となりました。

はじめに松原氏は、昨今日本のゲーム業界が厳しい環境にあると周囲から指摘されるようになったと切り出しました。その上で、これらすべてを否定するわけではないが、単なる悲観論にはくみしないとコメント。ただしゲーム業界(これはコンソールゲームの、一部の企業文化を指してのことだと思われますが)で、「進化の対応が遅いのではないか」と苦言を呈しました。

日本のゲーム業界を取り巻く現状とされるもの


ここで松原氏は80~90年代のIT業界を振り返り、その渦中にいた者として教訓を示しました。当時はIBMを筆頭にメインフレーム全盛時代だったのが、マイクロソフトとインテルが台頭し、ワークステーションからパソコンへと、急速にダウンサイジングが進んだ時代。その過程でコンピュータも、大企業や研究所内の一握りの技術者が使用するものだったのが、オフィスで誰もが使うツールになっていきました。

これをゲーム業界におきかえると、ゲームがそのジャンルや内容を変えながら、コアユーザーからカジュアルユーザーに広く普及していった流れに符合します。当時メインフレームからすれば、登場したばかりのパソコンは玩具同然。しかし、そこに安住していた企業は、あっという間に時代の流れに取り残されていきます。そこにはエンジニア自身の、進化を嫌う保守的な思想もあったのです。

中でも日本のIT業界は、この流れに完全に乗り遅れたと振り返ります。そこには「危機意識」「戦略」そして「課題共有」という3つの欠如がありました。そして危機意識と戦略については企業や組織レベルの問題だが、情報共有については開発者個人の問題でもあったと指摘します。これを痛感したのがアメリカで開催された、マイクロプロセッサの開発者が集まる技術カンファレンス「HotChips」に参加した時のこと。日本のIT業界にはほとんど見られなかった、自由闊達に議論を行い、互いに切磋琢磨しあう姿に、大きな感銘を受けたと語りました。

もっとも、日本のIT産業はこれまで世界のトッププレイヤーだった経験がありません。ここが日本のゲーム業界との最大の相違点。逆にゲーム業界においては、厳しい環境にあると言われる今だからこそ、開発者自身の意識の向上が重要だとしました。今なおトッププレイヤーの一角であることに自信を持つのは結構。しかし、それが傲慢さにつながってはいけない。謙虚さを忘れず、かといって意味のない悲観論に浸るのでもなく、危機意識を業界で共有して、次のステップに踏み出していこう、というわけです。

松原氏は情報共有の意義を次のように語ります。「開発者同士が会社の枠を超えて集まり、議論することで、現在抱えている課題点が顕在化する。そのことが開発者自身の英知を呼び覚まし、問題解決のための糸口が見つかる」。そして日本のゲーム業界は、まだこの雰囲気を醸造しきれていないとも続けます。「これは企業の考え方にもよるが、私は情報をオープンにして共有する方が、開発者自身の成長にもつながると思う」。過去3年間、CESA副会長兼技術委員長としてCEDECを牽引してきたのも、こうした自由闊達な文化をゲーム業界で活性化させたかったからだと語りました。


「一生懸命やっても、タイトルがヒットする保証はない。しかし、その可能性を少しでも高めることはできる」と松原氏は続けます。そのために何をすればいいのか。松原氏は「進化の認識」「危機感の共有」「進むべき方向性の確認」という3つのキーワードを示しました。そして方向性が定まったら、あとは目標を設定して、そこに向かって自己研鑽を続けるだけだと。これはIT業界でもゲーム業界でも変わらない、開発者にとって普遍的なものだとしましたが、社会人全般に通じる真理だといえます。とにかく、昨日と同じ明日は来ない。そこに、どう対応できるか。そして、それをいかに楽しむか、なのです。

さらに「言い方は悪いが、売れてナンボ」だとして、開発者が陥りやすい、ゲーム作りの呪縛に対して警鐘を鳴らしました。ゲーム開発はお客様に喜んでもらうために行うもので、その客観的な指標は売り上げしかない。そのため「売れたものは良い物」で、「良いゲームだったが売れなかった」という言い訳はして欲しくない、というわけです。そしてCEDECの目的はゲーム開発力の底上げにあるが、ゲーム開発力とはプログラミングなどの要素技術だけではない。最終的にタイトルの売り上げに繋がることが、ゲーム開発力の向上なのだ、という考え方を示しました。

もっとも松原氏は「こうしたことは、ここにいる皆さんには、ある程度理解してもらっていることでしょう」と続けます。そして何らかの理由でCEDECに参加していない人に対して、CEDECの価値を認識して欲しいと呼びかけました。なおCEDECについて良くある誤解の一つに「プログラマーのためのイベント」だという認識があると指摘。確かにかつては、そうした時期もあったかもしれないが、今ではゲーム開発に何らかの形で携わる、すべての人に向けたイベントだと、改めて補足しました。

冒頭で述べたように、本年4月から組織委員会を外れ、CEDECフェローという役職についた松原氏。今後はアドバイザーという立場から助言をしていくとのことです。そうしたタイミングだけに「元エンジニアという立場に戻って、開発者イベントの大切さについて理解してもらいたかった」と締めくくりました。

「ただし、あまり声高に啓蒙すると、かえって周りから呆れられてしまう恐れもあるので注意してください。じっくり時間をかけて、価値を広めていきましょう」
《小野憲史》
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