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海を超えた本当の意味での共同開発が結実した『ドラゴンボールオンライン』(1)

日本に先駆けて、韓国で正式サービスが始まった『ドラゴンボールオンライン』。本作は鳥山明さんの代表作「ドラゴンボール」の世界観を用いたMMORPGであると共に、日本と韓国の協業で作られたタイトルでもあります。

ゲームビジネス 開発
海を超えた本当の意味での共同開発が結実した『ドラゴンボールオンライン』(1)
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日本に先駆けて、韓国で正式サービスが始まった『ドラゴンボールオンライン』。本作は鳥山明さんの代表作「ドラゴンボール」の世界観を用いたMMORPGであると共に、日本と韓国の協業で作られたタイトルでもあります。世界中のファンから愛されている原作をベースに、日韓の開発者たちがどのような工夫で開発を進めたか、開発元であるNTLの中核メンバー4名に伺いました。

NTL株式会社 
・代表取締役/CEO 玉舎直人
・取締役/CCO クリエイティブディレクター 高宮孝治
・プロジェクトディレクター ク・ヒョンヌ
・ゲームディレクター 水島克

■いきなり集英社さんから鳥山明さんのアバターデザインが届いた!

―――今日は『ドラゴンボールオンライン』の開発経緯や、開発体制についてお伺いします。また韓国からテレビ会議で現地のスタッフの方にもご参加いただいています。まずは、皆さんの自己紹介と、簡単な経歴について教えてください。

玉舎: はい、NTLの社長で、『ドラゴンボールオンライン』の開発プロジェクトのプロデューサーをしている玉舎です。もともとアスキーで出版やインターネット事業などを手がけていまして、退社後はコンテンツビジネスのコンサルタントを経て、2003年にNTLの前身となるワイルドビジョン株式会社を設立(翌年にNTL株式会社に社名変更)し、今日に至ります。

高宮:  NTLのCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)で、『ドラゴンボールオンライン』のクリエイティブディレクターを兼務している高宮です。テクモに10年くらい在籍して、主に「モンスターファーム」シリーズなどのディレクターを務めておりました。退職後3年くらいフリーランスで活動していて、このプロジェクトの開始と共にNTLに参加しました。

水島: ゲームディレクターをしている水島です。高宮さんと同じテクモ出身で、実は高宮さんが最初の上司だったんです。新人研修もしてもらいました。5年くらい勤めた後に退職して、私もしばらくフリーランスで活動後、高宮さんに誘われてNTLに合流しました。

ヒョンヌ: 韓国でプロジェクト・ディレクターをしている、ク・ヒョンヌです。本プロジェクトには2006年から参加しました。韓国のオンラインゲーム黎明期の2000年頃から、ボードゲーム、カジュアルゲーム、MO、MMOプロジェクトの開発・管理を行っていました。「ドラゴンボール」というテーマに強い魅力を感じてNTLに入社しました。

玉舎: ヒョンヌは、もともとサーバプログラマーとして入社しました。プログラマーとしての能力だけでなく非常に管理能力が高かったので、2007年からはプロジェクト・マネージャを、現在は開発全体を統括するプロジェクト・ディレクターを担当してもらっています。

高宮: 氏水島氏
玉舎氏ヒョンヌ氏


―――日韓で分業体制になっていますね。

玉舎: 分業というよりは混業といった感じです。NTLは『ドラゴンボールオンライン』の開発のために存在していると言っても過言でない会社で、日本と韓国にそれぞれ法人があります。日本側は約10名、韓国側は約70名の開発スタッフがいて、日本ではゲームディレクションとアートディレクション、それからグラフィックの一部(主要キャラクター)の制作を担当しており、それ以外のプログラム、企画、グラフィック全般、QAなどは、すべて韓国で行っています。

―――韓国では2月5日から、CJインターネットで正式サービスが始まりましたね。

玉舎: はい、1月14日からオープンβを開始し、2月5日から課金アイテムの販売が始まりました。

―――関係する企業のスキームを教えてください。

玉舎: まず本プロジェクトは、バンダイナムコゲームスと共に韓国のバンダイコリアさんが統括をされています。その上で弊社が開発会社として企画および開発にあたり、韓国ではCJインターネットさんがパブリッシャーとしてサービスを運営されています。当然、全ての制作物は、版権元である集英社さんと鳥山明先生の監修を受けております。

―――それにしても、どういった経緯で『ドラゴンボールオンライン』の開発がスタートしたんですか?

玉舎: もともとワイルドビジョンでは、TVアニメのプロデュースや、ディズニーさんのオンラインコンテンツの企画・制作を手がけていました。そんな中でバンダイ(現バンダイナムコゲームス)さんと関係ができ、オンラインゲームのプロジェクトを一緒に企画することになったんです。当時のバンダイさんは韓国で開発された「ポトリス」などのサービスをされており、次は日本と韓国のクリエイターを一緒にして、何か面白いモノを作ってみようという感じだったんです。

―――なるほど。

玉舎: ただ、せっかく作るのなら、日本の版権でやれないかという提案がバンダイさんからありまして、それなら断然「ドラゴンボール」だろうと思い企画をはじめたのが2003年の末でした。一方で同時期にバンダイコリアさんでも「ドラゴンボール」のオンラインゲーム化を検討されており、それなら1本化しようということになったのが2004年の4月頃ですね。高宮や水島が加わって具体的な企画を検討しながら、開発拠点としてNTLの韓国法人を設立したのがその年の6月です。

―――「ドラゴンボール」原作ということで、集英社さんにもご提案されたと思うのですが?

玉舎: はい、よく鳥山先生に許可とらずに勝手に作ったなどとネットで言われていますが(笑)、そんなことはまったくありません。ご提案できるレベルの企画書が完成した2004年の夏に、バンダイさんと一緒に、権利元である集英社さんにご提案に行ったんです。もっとも、かなりおっかなびっくりでしたが。何せ「ドラゴンボール」というビックな題材もさることながら、それをMMORPGでしかも主役は孫悟空でなくアバターですって企画からね。一喝されるんじゃないかと(笑)。

―――ははは、そうですよね。反応はどうでしたか?

玉舎: それが、すぐに企画の主旨をご理解いただけました。当時は「ラグナロクオンライン」が日本でもヒットし始めた頃で、MMORPGの概念自体がそれほど浸透していなかった時期でしたので、正直驚きました。この時もし集英社さんにご理解いただけなければ、もっとコンシューマっぽい、MOスタイルのゲームになっていたかもしれません。

―――それは驚きです。

玉舎: しかし、これは実現難易度は極めて高いよと。本当に実現させるためには、集英社さんも、鳥山明先生にご相談した上で、本格的に企画に参加せねば実現は不可能であろうというご判断でした。それから1~2ヶ月後に、いきなり集英社さんから鳥山先生の絵が送られてきたんです。それもアバターのキャラクターデザインが。ビックリしたのと同時に、とてもうれしかったです。

―――いきなりアバターの絵というのが、すごい!

玉舎: ええ。その絵をきっかけにクリエイティブの方向性がふくらんでいきました。それから本格的に韓国で開発チームを組成し、プロトタイプを作り始めたのが2004年の10月です。なので正真正銘、企画段階から集英社さんにも、鳥山さんにも、ご参加いただいています。

―――プロトタイプも日韓で一緒に作られたんですよね。

玉舎: 韓国NTLの共同創業者が昔からの知り合いで、韓国のオンラインゲーム業界に人脈があり、彼と一緒に起業しメンバーを集めていきました。同時に高宮や水島ら日本のスタッフも海を渡って、韓国のスタッフと寝食を共にしながら、プロトタイプ開発を進めました。

水島: 最初は日本で仕事をすればいいから、なんていわれてプロジェクトに加わったんですが、いつのまにか向こうで部屋が借りてあるみたいな話になって(笑)。当時は日本のスタッフが全員、韓国に移住して、一緒に生活するような感じで作ってました。

玉舎: なかば騙すような感じで申し訳なかったですね(笑)。もっとも、ほかのやり方は、まったく考えていませんでした。というのも、日本側のスタッフは、誰も本格的なオンラインゲームを作ったことがなかったんです。実際、当時日本でMMORPGの開発をまともにできる開発者は、ほとんどゼロでしたから。そんな状態でオンランゲームの先進国である韓国の会社に単に外注するようなやり方では、絶対うまくいかないだろうと確信していたんです。

―――プロトタイプ開発はどうでしたか?

玉舎: まずオンラインゲーム開発の洗礼を受けるところから始まりました。日本にいても、勉強くらいはできるのではないかと思われがちですが、やはり本場で、どっぷりオンラインゲームの環境につかって体感しながら習得するのと、コンソールの国にいながら机上の知識として勉強していくのとでは、大きく違うと思います。

水島: 僕も高宮も日本でずっとコンソールゲームを作っていたので、クライアント部分は分かるけど、サーバ・クライアント型ゲームの作り方が全然分からなかったんですよ。
なので、最初は韓国のサーバプログラマーに講義をしてもらって、オンラインゲームを作る上での制約や、できることと、できないことを教えてもらったり、PC房で実際に遊んだりしながら、オンラインゲームの「いろは」を学んでいきました。

高宮:  普通は、まず日本側で企画を固めて、それを韓国側に渡して検討してもらって、そこから修正が入って・・・、という形になると思うんですが、私達はプログラマーと一緒に企画を作りあげました。この仕様は可能なのか、どのようにして実装するのか、などを綿密に確認し合いながら。

水島: 最初は、プログラマーにすごく怒られましたよね(笑)。このアイディアはデータベースサーバにすごく負担がかかるとか。

高宮:  なんでそんな常識がわからないんだとか(笑)。

水島: それらを一つ一つ、素直に聞いて体得しながらゲームを設計していきました。

―――コンソールゲームの開発と比較して、どうでしたか?

水島: 日本でオンラインゲームを作る上で陥りがちな問題として、よくクライアントを作り込んでから、最後にサーバと連携させようとして、うまくいかずに、全部駄目になる場合が多かったんです。でも、韓国ではホントに最初からサーバとクライアントを連携させながら作っていく。根本的にやり方が違うんだなと学びました。実際に『ドラゴンボールオンライン』は、プロトタイプの段階からサーバ上で動いていましたし、そうやらないと踏み込んだ表現ができないんです。

玉舎: それ以前に、まともに動くモノもできないですよね。

高宮: 今でもゲームを拡張するとき、まず水島を中心にコンセプトを固めるんですが、その内容はサーバ・クライアントの責任者に具現性を確認してもらった上で、承認されてから制作に入るんです。

水島: 最初に皆にちゃんとお伺いをたてて、ダメなところは全部怒られた後で、「わかりました、ではこれでどうでしょう」という形で(笑)。ただ、そうすることで後の開発段階で致命的な問題がおきにくいことがわかりました。最初の設計がすごく大事で、そこは完全にノウハウだなと。

―――コンソールゲームでは企画ありきですよね。

水島: ええ。だからコンソールではゲームは作品という意識もありましたが、オンラインゲームは完全にサービスなんだということがわかって。自分たちが作りたいモノを作ればいいのではなくて、プレイヤーが継続的に、心地よい状態で楽しめることを最優先に、どうやれば安定的にサービスができるかまで考えながら企画しなければなりません。ここは今まで作ってきたコンソールゲームの制作とは全く違うところですね。

インタビューはテレビ電話を使って韓国と繋いで行われた


3月4日公開予定の(2)に続きます
《小野憲史》
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