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川口博史、崎元仁、土屋昇平ら著名コンポーザーが日本のゲーム音楽を振り返る―黒川塾(二十弐)

川口博史、崎元仁、土屋昇平ら著名コンポーザーが日本のゲーム音楽を振り返る―黒川塾(二十弐)

2014年12月26日(金) 20時39分
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12月12日、ゲーム業界の恒例イベント「黒川塾(二十弐)」がデジタルハリウッド大学大学院駿河台キャンパスにて行われました。今回のテーマは「ゲームミュージックの軌跡と奇跡」。今年発表されたドキュメンタリー番組『Diggin' in the Carts』では、日本のゲーム音楽の歴史が貴重な証言とともに世界中に紹介されましたが、今回は番組に出演した著名なコンポーザーと評論家の5名がゲストとして出演しました。

川口博史氏は1984年セガに入社、鈴木裕氏のもとで『ハングオン』などの体感ゲームの作曲を手がけた有名コンポーザーです。また当時のセガのサウンドチームによるS.S.T. BANDにキーボードとして参加。ファンからはHiro師匠の愛称で呼ばれる業界のベテランです。

崎元仁氏は音楽製作を業務とする有限会社ベイシスケイプ代表取締役社長。学生時代に制作した『REVOLTER』で作曲家デビュー、『伝説のオウガバトル』、『レイディアントシルバーガン』、『ファイナルファンタジーXII』などの作品を手がけており、国内外に多くのファンからの支持を得ています。

土屋昇平氏は2003年にフロム・ソフトウェア入社。『アーマード・コア ネクサス』や『METAL WOLF CHAOS』などに参加した後、2008年にタイトーに入社し、同社のサウンドチームZUNTATAに参加。看板タイトルとなるPSP『ダライアスバースト』でメインコンポーザーをつとめました。現在ではタイトーに留まらず、様々なゲームに楽曲提供を行っています。

ローリング内沢氏は1970年生まれのフリーランスのライター・編集者です。『週刊ファミ通』の編集者を経て、2000年よりフリーとして活動。ゲームのみならず、クラブミュージックやグラフィックデザインなども手がけています。『Diggin' in the Carts』では出演及び制作協力を行っています。

Hallyこと田中治久氏はライター兼、コンポーザー・音楽プロデューサーです。チップチューンという言葉を日本にもたらしたゲーム音楽史の第一人者。自らも「カミシモレコーズ」を主宰し、楽曲制作やライブ活動を行っています。『Diggin' in the Carts』では解説者として出演しています。

まずは今回のきっかけとなったドキュメンタリー番組『Diggin' in the Carts』について、内沢氏が説明しました。エナジードリンクで有名なレッドブルは「レッドブル・ミュージックアカデミー」という音楽家支援のイベントを1998年から行ってきました。16 回目を迎える今年は10 月12 日~11 月14 日まで東京で開催され、様々な講演やイベントが行われました。その中でも日本の音楽の独自性としてゲーム音楽にも焦点が当てられ、制作されたのがこのドキュメンタリー番組です。プロデューサーはニュージーランド出身のニック・デュワイヤー氏がつとめ、制作協力として内沢氏やHally氏といった国内の識者に声がかかりました。

このような企画を知り、黒川氏は日本のゲーム音楽は海外から注目されているのかと質問を投げかました。Hally氏によれば、海外には日本のようなゲーム音楽の市場はまだ存在していないそうです。2000年代まではパッケージCDや販売する店舗も存在せず、海外のファンは個人輸入に頼るしかなかったようです。しかしながら、インターネットなどを通して、徐々にゲーム音楽の文化が伝わり、さらにファミコン世代が大人になったことで徐々に注目を集めています。また内沢氏によると、ニック氏もまたファミコン世代で、ゲーム音楽で育ってきました。しかしながら、これまで誰が作ったものか知らないままに聞いており、今回の企画によって日本のゲーム音楽を世界中に伝えていきたいそうです。

ゲーム音楽作曲家――それぞれの哲学


次にゲストのコンポーザーの経歴とその制作スタイルに話題が移りました。

崎元氏は高校生の頃に制作した同人ゲームがデビュー作です。プログラムがメインでしたが、曲を書ける人間が自分しかいなかったため、音楽を担当。そのままプロの道を歩みました。そのため、音楽についてはほぼ独学であり、崎元氏を特徴づけるオーケストラ曲もディレクターからの要望で仕方なく作曲したそうです。中でも『伝説のオウガバトル』のオーケストラ曲が評価されたため、クラシック風の作曲家という印象が持たれました。しかしながら、「付け焼き刃」で作ったものが多いため、多くの楽曲を作ることができず、その後に必死に勉強したそうです。

また崎元氏のゲーム音楽のモットーは「音数が少ない方が偉い」というのもの。すぎやまこういち氏の譜面の打ち込みを担当していたとき、音数が少ないにもかかわらず、その表現力の豊かさに驚いたそうです。土屋氏もこれに同意し、音数の少なさはゲーム音楽らしさの重要な要素だと語ります。また内沢氏によれば、『Diggin' in the Carts』のプロデューサーのニック氏は音数の少ない日本のゲーム音楽を折り紙や生花といった日本文化にたとえて語っているそうです。

崎元氏と同じく高校時代からひとりでゲームを作っていた川口氏ももともとはプログラマーでした。しかしながら、当時のコンポーザーとしては珍しく、川口氏は楽器を演奏しているため、アーティストという雰囲気があったそうです。実際に崎本氏にとっても川口氏は憧れの「本物のミュージシャン」であったそうです。

代表作となる『ハングアウト』や『スペースハリアー』は、鈴木裕氏の「バンドっぽい曲」、「映画の『ネバーエンディング・ストーリー』っぽいやつ」といった曖昧な指示によって生まれたそうです。曖昧な形でも川口氏は常にプレイヤーの感情を想像して作曲します。例えば、飛行機のゲームであれば、空を飛んでいる感じを音楽で表現し、プレイヤーの体験を強調します。これには崎元氏も土屋氏も同意。結局は自分がプレイするときに、どんな音楽聞きたいかを考えることが多いそうです。

今回のゲストの中ではもっとも若い土屋氏は2000年代にゲーム音楽の業界に入りました。タイトーでの音楽制作に加えて、受託での活動も幅広く手がけています。社内のプロジェクトでは自分の個性を強く押し出すそうですが、受託ではクライアントの要望に合わせることが多いそうです。最近では参考音源としてYouTubeなどの動画サイトのリンクが送られてくることが多いそうです。

興味深いのはクライアントによらず、時代によって求められる作風が共通している点。特にディレクターが若い時代に影響を受けたゲーム音楽に合わせた注文が多いそうです。とはいえ、できれば自分の個性を出したい土屋氏。ただディレクターの趣味に合わせるならば、実際に好きなコンポーザーに依頼すべきだと主張します。YouTubeなどで楽曲のイメージを伝えやすくなった昨今だけに、ディレクターは単なる他の音楽の模倣ではなく、楽器やメロディなどをはっきりオーダーする必要性があります。

それぞれの音楽的ルーツ


また黒川氏はゲスト5名に対してどういう音楽の影響を受けたか質問をしました。

川口氏は小学校の頃からラジオでビートルズやグレン・ミラーなど洋楽を聞いていたそうです。その後、フォークギターから音楽に入り、高中正義やカシオペアといったフュージョン、さらにラテン音楽へ目覚めるという音楽遍歴をたどっています。

崎元氏はYMOの影響が大きく、同人ゲーム制作時のペンネームもYmoH.Sと名乗っていました。ゲーム音楽ではアーケードの影響が大きく、特にセガの大型筐体の音楽をウォークマンで録音していたそうです。さらにゲームセンターの店員と親しくなり、音声出力のプラグを設置してもらい、よりクリアな録音を模索していたそうです。

土屋氏が本格的に音楽にハマったのは中学校の頃。ブラスバンド部でコントラバスを始めましたが、すぐに興味はエレキベースに向かいました。楽器屋でジャコ・パストリアスモデルのベースを見かけたことがきっかけで一気にベースの世界に目覚めます。その後はとにかくベースがかっこいい音楽と、ジャズ、フュージョン、ヒップホップ、ブレイクビーツと多様なジャンルを聴き始めました。結果的にゲーム音楽を含めてインストゥルメンタルの音楽に傾倒しましたが、当時の同級生とは話がかみ合わかったそうです。

70年代生まれの内沢氏は、洋楽黄金期の80年代に音楽に目覚めました。ベストヒットUSAといったテレビ番組を通じて、当時の洋楽を聴き漁ったそうです。邦楽に対しては洋楽に劣るものという感覚が強かったそうですが、細野晴臣氏の『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を聴いて衝撃を受けたそうです。そこからゲーム音楽と共に電子音楽に目覚め、テクノやハウスといったクラブミュージックの世界に入っていきます。楽器ができなくてもDJなら可能だと思い、機材をそろえて独学でDJも始めました。

ゲストの中でもHally氏は少し変わっており、最初からゲーム音楽の世界に入っていったそうです。内沢氏と同じく電子音楽の世界にも足を踏み入れましたが、より原始的な電子音を求め、海外のゲーム音楽に興味が向かいました。海外ではコモドール64などのホビーパソコンによって制作されたゲーム音楽が盛んで、Hally氏はPSG音源やFM音源を使用した楽曲を好んで聴いたそうです。

それぞれ様々な形でゲーム音楽の世界に踏み入れたゲストの5人ですが、いくつかの共通点がありました。それは80年代からの洋楽の影響と日本でのフュージョンブーム。世代が若い土屋氏、内沢氏、Hally氏は直接の影響を受けていませんが、インストゥルメンタル主体という点でゲーム音楽との相性は良かったようです。またYMOで日本でも一般的になったテクノもゲーム音楽と相互に影響しあっています。いずれにせよ、80年代の音楽シーンがゲーム音楽のひとつの源流であることは間違いないでしょう。

ゲーム音楽の源流を求めて


そこで自然に話題は80年代のゲーム音楽に移りました。今回のためにHally氏が作成してきた年表にそって、80年代初頭からのゲーム音楽の流れを振り返ります。初期のゲーム音楽には決まった形はまだありませんでした。開発者の趣味によってジャズ風のBGMがつけられた『パックマン』を筆頭に、主にポップスや童謡のカバー曲がゲーム音楽の中心でした。しかしながら、ナムコは当時からオリジナル楽曲にこだわっていたそうです。

実際に川口氏もナムコの『ニューラリーX』を聞いて、ゲーム音楽の道を志したそうです。崎元氏も当時のゲーム音楽は印象的ですが、特に『マッピー』、『源平討魔伝』などのナムコの作品は記憶に残っているそうです。Hally氏によれば、当時のナムコはいち早くアカデミックな作曲家を取り入れていったそうです。またカプコンも続き、多くの音大出身者を採用。少しずつ会社ごとの音楽の傾向に色がついていったそうです。

中でもターニングポイントは84年。アカデミックな人材と共に、多くのバンド出身者がゲーム音楽業界に参入しました。YMOの細野晴臣氏が日本初のゲームのサウンドトラック『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を発表。ファミコンも家庭に普及して、ゲーム音楽が身近な存在になっていきます。その後、FM音源やPCM音源が登場してゲーム音楽の表現力が広がります。当時の川口氏もPCM音源をいち早く使用。もともとは音声用の音源でしたが、ドラムサウンドで利用することでゲーム音楽の迫力が一段とあがりました。

86年頃には『ドラゴンクエスト』のすぎやまこういち氏を代表に他の世界で既に著名な作曲家がゲーム音楽で活躍し始めます。またゲームのサントラが増加したため、レコード会社各社はレコード店に棚を作ってもらうため、ゲーム音楽専用のカタログも登場します。市場としてのゲーム音楽はこの頃に始まったと考えられます。

作曲家の個性の時代へ


最後に一人ずつゲストからのメッセージでイベントは幕を終えました。Hally氏と内沢氏は『Diggin' in the Carts』も含めて、今後は次世代にゲーム音楽の素晴らしさを伝えていくのが課題であるそうです。土屋氏はゲーム音楽が技術的な制約から解放され、アニメや映画といった他の劇伴音楽と変わらなくなったため、今後は作家性が重要になると述べています。川口氏もゲーム音楽の特徴が失われた結果、同じ方法性のものが多くなったため、今後はディレクターに負けないカラーが必要だと述べています。崎元氏は当時、手探りで進めた音楽が現在では高く評価されていることに戸惑いながらも、感謝しているそうです。

質疑応答では「続編ものの楽曲を制作するときのプレッシャーをどうやってはねのけるのか?」、「楽曲をボツにされたときはどういう気分か?」といったクリエイターとしてのゲーム音楽作曲家への質問が投げかけられました。どの質問に対してもゲストの3名のコンポーザーの答えは概ね一致。「他の人の楽曲と比べない」、「自分のやりたいことをやる」、「ボツにされても気にしない」、「ディレクターのセンスを疑う」といった回答が示されました。作風は様々ですが、コンポーザーにとって自らの個性の重要性が際立っていたと思います。

会場ではコレクターの浅野稔氏の協力により、ゲーム音楽の貴重なポスターも展示されました。初期のアーケードやファミコン時代の名作のポスターが一堂に会する姿はなかなかの壮観。ゲスト陣もいつにも増して豪華であり、賑やかな黒川塾となりました。

(Article written by 今井晋)

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