
「ゲームフリーク」の名を知るゲームファンは、かなり多いことでしょう。名前だけでは分からない人も、『ポケットモンスター』シリーズを生み出し、現在も開発を手がけている会社と聞けば、ゲーム業界における存在感の大きさを実感できるはずです。
一方で、『ポケモン』シリーズがあまりに有名すぎるため、「ゲームフリーク=『ポケモン』」と、半ば意識せず思い込んでいる人がいてもおかしくありません。
しかし実際のゲームフリークは、かつても今も、さまざまなゲーム開発に取り組んでいる会社です。そこで今回は、そんなゲームフリークの「『ポケモン』だけではない」歴史を、同社が手がけてきた作品とともに振り返ります。
■『ポケモン』の前から始まっていたゲームフリークの歴史
ゲームフリークが広く知られるようになった大きなきっかけは、やはり1996年に発売されたゲームボーイソフト『ポケットモンスター 赤・緑』でしょう。ですが、同社のゲーム開発の歴史は、これよりもさらにさかのぼります。
1989年6月27日に発売されたファミコンソフト『クインティ』は、ゲームフリークにとって記念すべき第1歩と呼べる作品です。本作は、パネルをめくって敵を倒す独特のアクションパズルで、現在もゲームフリークの原点として知られています。また、キャラクターデザインを担当したのは、『ポケットモンスター』シリーズなどでも活躍している杉森建氏です。
『クインティ』は「Nintendo Switch Online」で遊べるため、ゲームフリークの原点は今も遊びやすい環境にあります。さらに、ゲームフリーク公式YouTubeチャンネルでは、主人公の妹である「クインティ」を杉森氏が描く映像も公開されています。気になる人は、あわせてご覧ください。
■なんと『マリオ』や『ヨッシー』の関連作も!
『ポケモン』や『クインティ』のようなオリジナル作品を生み出しつつ、ゲームフリークはさまざまな版権タイトルの開発にも携わってきました。初期の代表例として挙げられるのが、『ヨッシーのたまご』や『マリオとワリオ』です。
『ヨッシーのたまご』は、いわゆる落ちもの系のパズルゲームですが、一般的な落ちものパズルとは異なり、落ちてくるキャラクターを受け皿でキャッチするというユニークなシステムを採用しました。

そして、1993年にスーパーファミコンで発売された『マリオとワリオ』は、当時の家庭用ゲーム機では珍しかったマウスを活用したアクションパズルです。全100面のステージが用意され、マウスによる独特の操作感も大きな特徴でした。
これら2作品も「Nintendo Switch Online」で配信されているため、現在のゲームファンでも比較的触れやすい作品といえるでしょう。

このほかにも、1992年に発売されたメガドライブ版『まじかる☆タルるートくん』では、原作の世界観とキャラクターを横スクロールアクションゲームで表現しました。
さらに、『ノンタンといっしょ くるくるぱずる』や『バザールでござーるのゲームでござーる』といった作品も、世に送り出しています。ゲームフリークの作品一覧を眺めると、『ポケモン』とはかなり異なるジャンルや世界観の作品が並んでいることが分かります。
ちなみに、メガドライブ版『まじかる☆タルるートくん』は、2022年10月に発売された「メガドライブミニ2」に収録されているので、本機を所持している人は、改めて遊んでみてはいかがでしょうか。
■PlayStationにも進出!ゲームフリークが見せた意外な一面

『ポケットモンスター 赤・緑』の発売を目前に控えた1994年には、人工生命体「パルスマン」を主人公とする横スクロールアクションゲーム『パルスマン』を開発。そして、『ポケモン 赤・緑』(1996年2月)の翌年に発売されたスーパーファミコン向けの『BUSHI青龍伝 ~二人の勇者~』も、ゲームフリークが手がけた作品です。
さらに、1999年に登場したPlayStation向けの『クリックメディック』も、ゲームフリークが携わりました。この作品は、潜航艇を縮小化させたマシンに乗り込み、患者の体内へ入って治療するという近未来医療を題材にしたテキストアドベンチャーです。
当時、PlayStationでゲームフリーク作品が遊べたという事実は、現在の『ポケモン』ファンからすると意外に感じる点かもしれません。

ここまでさまざまな作品を手がけてきたゲームフリークですが、この時期から『ポケモン』以外の作品は次第に少なくなっていきます。
『クリックメディック』から数えること約6年ぶりに、『スクリューブレイカー 轟振どりるれろ』(2005年)が登場。そして、次の『ポケモン』以外の作品として登場したのが、約7年の間隔を空けた『リズムハンター ハーモナイト』(2012年)です。約13年の間に2作品と、かなりペースが落ちています。
もちろんゲームフリークは、この期間も『ポケモン』シリーズを継続して開発していました。そのため、当時『ポケモン』を遊んでいたユーザーの印象が「ゲームフリーク=『ポケモン』」となるのも、自然なことだったといえるでしょう。












