■差し出す小人を取捨選択する「罪悪感」

不安から始まり、恐怖に支配される毎日。しかし、本作が巧みなのは、プレイヤーの感情を「不安」「と「恐怖」だけで終わらせないことです。
誰を生かし、誰を冴子へ差し出すのか。その判断を迫られるたび、「罪悪感」が重くのしかかってきます。自分が死ぬ恐怖よりも、毎日積み重なる罪悪感の方を、強く感じていくことでしょう。
しかし、この状況を作り出したのは冴子に他なりません。自分は従うしかない。悪いのは冴子なのだから、責任も彼女にある──そう考えることで、罪悪感から逃れる「解放感」を味わうこともできます。

もちろん、こうした考え方は、どう繕ったところで言い訳です。死にたくないのは当然ですが、自分が生き残るために誰かを見殺しにした事実は打ち消せず、自己保身に過ぎません。
「自分が殺したわけじゃない」という理屈を、詭弁と理解しながらも自分の心を守るのか。それとも、本当にそう信じ込んで責任から目を背けるのか。どちらにせよ、胸の奥には澱のような重苦しさが残ります。
それは、卑劣な逃げなのかもしれませんが、正しさだけでは生き延びることはできません。冴子という絶対者が支配する引き出しの世界は、それほどまでに過酷なのです。
■自身に「嫌悪」し、強者に向けて「怒り」を覚える

こうした日々を積み重ねるうちに、プレイヤーの感情は大きく二つの方向へ分かれていきます。そのひとつは、自分自身への「不信感」です。
主人公が生き残ろうとするのは当然であり、その行動だけを責めることはできません。しかし、食事を与えられる小人たちもまた、生きたかったはずです。
両者の命に優劣はありません。にもかかわらず、管理人である主人公だけは、冴子の食料になりません。会話に失敗して死ぬことはありますが、それは自らの選択の結果に過ぎず、生き残る可能性は常に残されています。

一方で、自分が食事を与えた小人には未来がありません。その瞬間、死ぬ運命が確定します。
安全圏から他者の運命を決める自分という構図に気づいた時、「自分は弱者のふりをしながら、誰かを犠牲にしているだけではないのか」という疑念が心を蝕みます。

その不信感は、やがて自分自身への「嫌悪」に変わり、そして理不尽な世界を作り上げた冴子への「怒り」が膨らんでいきます。
怒りに辿り着いた主人公が何を選ぶのか。その先は、ぜひ自分自身の目で見届けてください。












