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【インタビュー】日野晃博が明かす、少年時代のルーツとレベルファイブの見据える未来

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【インタビュー】日野晃博が明かす、少年時代のルーツとレベルファイブの見据える未来
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妖怪ウォッチ』の大ヒットにとどまらず、クロスメディア戦略による新規タイトルを続々と生み出している、福岡のゲームメーカー レベルファイブ(LEVEL-5)。東京ゲームショウ 2015のキーノート・スピーチでも注目を浴びた同社代表取締役社長/CEO 日野晃博氏に、これまで手掛けてきた作品のルーツや、クリエイターと経営者双方の視点から見たゲーム業界の未来についてじっくりと話を訊きました。

(聞き手: 黒川文雄)

■自由な発想のルーツは少年時代に

――日野さんが手掛けたタイトルにルーツがあると思いますので、その辺りからお話をうかがいます。福岡県大牟田市で少年時代を送っていますが、東京と違って娯楽も限られていたのではないでしょうか。その頃は、どのような子供時代を過ごしていたのでしょう。

日野晃博氏(以下、日野): 何にでも興味を持つ子供だったので、自分の行動範囲内の本屋や電気屋に行ったりしていました。自分の興味があるものに対し正直に動いていた感じですね。

――後にマイコンのプログラムに傾倒していくのですが、元々のきっかけはあったのでしょうか。

日野: 小さい頃からメカみたいなもの、まだミニ四駆と呼ばれる前の自走式模型やラジコン、そういう機械系のものがすべて好きでした。その後、マイコンのようなものが登場しだしたのですが、最初は実物を見ることもできなかったので、関連書籍を読んで興味を持っていきました。


――毎日放送系列のドキュメンタリー番組「情熱大陸」で拝見したのですが、プラモデル屋にもよく行っていたようですね。

日野: そういうものにも興味を持っていました。

――その後、実際にプログラムを始められたわけですが、ご自身ではどういった部分を面白いと感じていたのでしょうか。

日野: プログラムに限らないのですが、最新のものや、世の中に無いものを見ていくことが好きだったみたいです。

――まさに今は世の中にないものを作っていますよね。誰もが子供のころはクリエイティブな発想を持っていますが、大人になるとその感覚が無くなっていくと思います。日野さんを見ていると、ずっと子供の頃のようなクリエイティブ性を持ち続けているように感じられるのですが、それはなぜなのでしょうか。

日野: 両親共遠く離れた場所で働いていたので、主に祖母に育てられていました。もちろん、両親とは一緒に過ごす時間はありましたが、祖母の家にいる期間が多かったので自由にさせてもらっていたんですね。あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、みたいなことは言われませんでした。子供のころに親からあまり管理されずに育った環境が、今のクリエイティブに繋がっているのかもしれません。

――つまり、何者にもとらわれることなく自分の自由にやってきたからと。

日野: そうですね。行動も自由でしたし、あまり危険な場所ではなかったこともあって自由に動き周っていました。小さい頃は、今なら絶対に真似してはいけないと怒られるレベルの、やってはいけないことばかりやっていましたけど(笑)祖母の甘やかしが入っていたので、他の子供たちよりも使えるお小遣いも自由がきいていたりと、そういう制約を受けないところで育ってきたことが、今のクリエイティブを形成するバックグラウンドになっているのかもしれません。

――なんでも自分で作れるし、なんでも自分で考えられるということですね。

日野: 自分の考えたことをそのまま実行して行動することが当たり前だと思っているので、誰かから言われたことをする、ということをあまりやらなくて済んでいたと思います。

■ゲーム会社を経て起業へ


――それは今の経営に至る部分に近いものがありそうですね。その後、システムソフトやリバーヒルソフトといったゲーム会社で働かれていますよね。

日野: 多くのものを見て、いろいろ勉強をして、個人的には一般の人とは違うくらいの知識を持っていると思っていましたね。

――それはエンタメに対する知識ということですか。

日野: そうですね。会社に入った時は他の同期のメンバーよりもずっと知識がある状態でした。でも、会社に入った後は自分の実力は非常にちっぽけなものだったと気づきました。少し打ちのめされた感もありましたが、むしろやる気に繋がりましたね。まだこんなに広い世界があったのかと。

――ご自身でもそう思われることがあったのですね。よく言われているのが、経営もゲームと同じでレベルを上げていくのだと。ご自身で自分の知識であるとか、経験の足りなさを実感して、もっとやらなければいけないと考えたわけですね。

日野: そうです。もっとやるべきことがあった、という感じです。

――それは、プログラムやゲームの企画、エンターテイメントに対する追求ということでしょうか。

日野: 主にプログラムの技術的なことでした。僕はなんでも作れるつもりでいたのですが、会社に入ってみると、もっと高い次元の、それはコンピューターを開発する人がやるような次元のことを先輩たちはやっていたんです。OSの上にソフトウェアを開発していくのが当たり前だったのですが、会社に入った時の先輩たちは、そのOS部分を作っていたりとか。その頃はまだPCでのローレベルのプログラムで、MS-DOSというOSでした。MS-DOSの上で動くプログラムだとスピードが十分ではなかったので、OSレベルでファイルの一部分を管理する仕組みを独自で作ったり、OSを介さずに直接ゲームが立ち上がるようにしようとか、そういう概念自体も新しかったですね。

やはり、プロというのはこういうことなんだなとその時思いましたね。本に書いてあることだけやれるようになっても、やはり現場は違うんだ、と。会社の中に、この人の技術は学ばなければいけない、みたいな尊敬できる人がいると、仕事もやる気が起きましたし、毎日会社にいるのが楽しかったですね。

――そのような経験を経て独立されたわけですね。

日野: レベルファイブを設立した時は、もともとSCEさん(ソニー・コンピュータエンタテインメント/現SIE)がサテライトカンパニー(いわゆるセカンドパーティー)というのを作っていた頃です。サテライトカンパニーはクリエイターを囲って、一つの小さい開発会社を作り、それを支援しながらソフト開発していくというシステムでした。自分たちもそんな風に扱ってくれないかと考えていたのですが、SCEさんのその当時の佐藤明副社長は、「才能を信じて契約することはいいのだけど、サテライトカンパニーではなくて自分たちの会社にしてください」と僕に言ってくれたんです。それで僕は自分で会社を作りました。
サテライトカンパニーのシステムはその後、無くなってしまうのですが、もし僕がそこでやっていたら、今のレベルファイブは無かったかもしれませんね。そういう意味では、あの時の判断は良かったのだと思います。だから、SIEさんだけでなく、任天堂さんのハードでもゲームを作れるわけですし、すごくいい助言でした。佐藤さんの真意は分かりませんが、僕らはそういった枠にとらわれず自由にやったほうがいいんじゃないかと思っての助言だったのかもしれません。

――結果的にはすごく良い選択になりましたよね。

日野: 佐藤明さんは、僕らにとっては恩師ですよね。

――システムソフトやリバーヒルソフト在籍中は、自分が作りたいものを自分の意志で作るということがモチベーションとしては強かったですか。

日野: 自分の作りたいものは、会社に入ったばかりの時はありませんでした。ただ、周りに追いつきたいという気持ちがすごくありました。一番にならないと気が済まないところがあるので、負けず嫌い精神の中で先輩たちを出し抜いてやろうというのがモチベーションでしたね。その時の大きな転機となったのが、誰もがファミコンの『スーパーマリオ』が面白いと言っていた頃、PCエンジンが出たぐらいの時に、これからは3Dの時代になるので研究をさせてくれとその当時の社長に頼み込んだことですね。僕はもう海外は3Dの波が来ているので、日本も近いうちに3Dになっていくと思うので、研究をさせてほしいと。それをOKにしてもらいましたが、会社の中には誰も3Dが分かる人間がいなかったので、僕一人で研究していました。

――その時期というのは、業務用で3Dが出始めたくらいの時ですよね。

日野:業務用としてワイヤーフレームの戦闘機のゲームなどが出始めた頃です。

――セガでいうとMODEL1とかの基盤の頃ですね。

日野: まだ3D向けのマシンがほとんど無い時期に、高いスペックのパソコンで強引に3Dのプログラムを作っていました。当時は3D向けの回路とかも一部のパソコンにしかなかったので。会社はPCエンジンやファミコンをやり始めた頃で、やはりそちらのプログラムをきちんと作らないといけない時期でした。僕も大規模なRPGに関わっていたのですが、途中から3Dの研究をさせてもらった形です。それが会社の中で僕が有利なポジションを取る一番の転機だったと思います。一人で勉強して、参考書も買いまくって、先輩たちも知らないことを自分が先に知れるということが、何よりもエキサイティングでした。それから、ついに3DOというゲーム機がでて、3Dの時代が来ましたからね。それで3DO向けのゲームを作ったのですが、あまり思わしい結果ではなくて。3DO自体があまり普及しなかったので厳しい状況でした。次にプレイステーションが登場して、そこでヒットできたので、会社の中での評価を大きく上げることができました。3Dのツールを自分で作ったりして、会社の中の立場はどんどん上の方になっていきました。。一人で3Dのことを把握している状況でしたので、当時はプロジェクトリーダーになったりして、3Dのゲームを会社の中でまとめていましたね。

――その当時に苦労したことはあったのでしょうか。

日野: 世の中に申し訳ないくらいなのですが(笑)、僕は苦労をしたと感じないんですよ。レベルファイブを始めたときも、仲間たちと一緒に楽しくやっていましたし。もちろん、喧嘩したりもめたりしましたが、それを苦労という風には全然感じなかったですね。喧嘩してムカつく、みたいな、そんな学生レベルのものは日々あったにしても、毎日毎日楽しく過ごしていたらなんとなく結果がついてきた感じです。ただ、ゲームを作ることだけは真剣にやってました。会社もお金が無限にあるわけではないので、開発会社としてもらったギリギリの資金でやりくりしていました。本当にギリギリで開発していたので会社の資金がショートしたりするんですよ。そうすると自己資金を会社に入れることもありましたね。

《編集部》

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