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【JRPGの行方】第3回 『FF』から見る「物語」と「キャラクター」(前半)

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日本を代表するRPGシリーズである『ファイナルファンタジー』を取り上げ、物語の構造やキャラクターとプレイヤーの関係について、二回に分けて書いていきたいと思います。各作品のあらすじやキャラクターの紹介などは、紙幅の都合上省かせていただきますので、あらかじめご了承ください。RPGのシリーズ作品はいくつかありますが、FFシリーズを選んだ理由としては、多くのユーザーに知られていること、それぞれの作品が物語上の関係を持たない個性を持っていることが挙げられます(あとは筆者がFF好きだということ)。

◆アルティマニアという危険な魔法

FFをプレイしたことがある人で、アルティマニアを知らない人はいないのではないでしょうか。『ファイナルファンタジーVIII』から発売されミリオンセラーも記録したこのシリーズは、「ゲームの全てを遊び尽くす」というコンセプトで制作されたあらゆる情報がつまった攻略本。FFをプレイしていて「まだやりこんでないからアルティマニア買っとこうかな」と思ったことがある人も多いのではないでしょうか。

この“究極(アルティメット)”の攻略本は、名前負けしないその見た目の厚さ、手に取ったときの重みで「こんなに重くて分厚い本ならきっとまだまだやりこむことがたくさんありそうだからアルティマニア買う!」と思わせるに十分で、実際にゲームの全てが詰まっていました。そして、やり込み要素が増えれば増えるほど、本の重みと厚みが増していくのは必然でした。

さて、シリーズの攻略本が同タイトルになった由来には、シリーズを通して登場する魔法「アルテマ」の存在があると思います。この「アルティマニア」という魔法、これまで述べてきたRPGの「物語」にとっては大変に危険な究極魔法だったのです。

日本のRPGにおいて、かつて「究極」だったのは、物語とそれに伴う「ラスボス・クリア・エンディング」といったものでした。RPGは「優しさ」や「感動」といったキーワードをもとに、豪華なCGと声優を使ってそこに力を注いできたはずでした。

しかし究極をうたう攻略本において、こうして彩られてきたメインストーリーはむしろ脇役で、サブイベントに関する記述が需要の多くをしめていきます。いつのまにか、多くのサブイベントをこなしてゲームを遊び尽くすことこそが、究極になってしまっていたのです。ラスボスを倒し物語を終えることではなく、まるでデータベースのようにゲームの全てに触れることで、ゲームは究極といえる領域にたどり着くのです。

メインの物語よりもサブのイベントを充実させた方が、遊び尽くすという欲求に応えるには正しい。プレイヤーの誰もが触れるメインの物語を充実させても「尽くす(全うする、その事柄の極にまで達する)」ことにはならないからです。ゲーム世界のあらゆることを記述することで、プレイヤーはその全てを楽しむことができるようになりました。一方で、その徹底ぶりで、世界の全ては可視化され、世界から余白は失われました。余白がないことは、逆に世界を狭めてしまうことになるかもしれません。この世界には私が知らないことがまだある、という想像の余地がある方が、世界は拡張していくからです。

この流れは、インターネットの普及を通じ、攻略サイトやWikiなどに受け継がれていきます。ひとりのプレイヤーではなしえない集合知による自身の知らない情報の開示、メインストーリーとサブコンテンツの同列化はこれまでゲームが一方的に与えてきた物語を超え、その世界を解体していくのです。

◆「セカイ化」する物語


セカイ系(セカイけい、世界系)とは、アニメ・漫画・ゲーム・ライトノベルなど、日本のサブカルチャー諸分野における物語の類型の一つである。(Wikipedia)


「セカイ系」についての具体的な説明はここでは避けますが、ごく簡単に書くと「世界を『きみとぼく/社会領域/世界の危機』という3つの領域にわけたとき、その中間領域である社会をほとんど描かない物語」といえるでしょうか。「自分語りの激しさ」「語り手の“世界”が文字通りの世界と等号」といった特徴も持っています。『新世紀エヴァンゲリオン』以降、様々なジャンルで現れるようになったといわれるこの形は、とりわけ2000年代のライトノベルで注目されたと思っています。その形が1997年の『FF7』以降、物語の中核として取り入れられていきました(なお、これはFFに限った話ではありません)。

この言葉をRPGの典型にあてはめて簡単に説明すると「勇者/王様/魔王」というそれぞれの領域から、王様がいなくなった物語、となります。ただし、どこぞの村の若者を「勇者」として承認するのは「王様」の役目であり、それがあって初めて勇者は勇者になり、「魔王」を倒しにいくことができます。

では王様がいない世界で、勇者(ぼく)はどのように魔王(世界の危機)と関わりを持てばいいのか? その方法のひとつが、主人公のアイデンティティと世界の危機を導くキャラクターを密接な関係にすることでした。『FF7』以降「きみとぼく(ヒロインと主人公)」と「世界の危機(重要な敵キャラ)」は緊密な関係になっていき、「ぼく」の実存における葛藤は「世界の危機」をもたらす敵キャラによってもたらされていきます。

『FF7』から『FF10』までの各作品での関係性は以下の通り。これら4作品をFFの「セカイ系四部作」と呼ぶことにします。クラウドやスコールがあんな斜に構えた性格なのは、こうした物語の型のせいもありそうです……。そして(その反動としての)ジタンとティーダの明るさも!

FFVII: クラウドとエアリス/セフィロス
FFVIII: スコールとリノア/アルティミシア
FFIX: ジタンとガーネット/クジャ
FFX:ティーダとユウナ/ジェクト
(作品名:ぼくときみ/世界の危機)


「セカイ系作品においては、世界の命運は主にヒロインの少女に担わされる(同)」点はいずれも共通しています。ここで社会領域は完全に消滅しているわけではなく、主人公が戦いにいくための動機となっていることがありますが、物語の途中から、その中間領域は徐々に摩滅していきます。『FF9』において「ヒロインが王女」というのはいかにも社会的ですが、ガーネットがダガーと名乗り、ジタンが自らの出生に気づくとき、社会領域は消えていきます。

7以前のFFでは「光の4戦士」をはじめとして、名もなき勇者と同様「選ばれしもの」が主人公になっていることが多く(それを承認するのは王様でなくクリスタルなど超自然的な力ではありましたが)、その選ばれし戦士たちが「選ばれた」ことを理由に、自分たちとは縁もゆかりもない世界の危機に立ち向かう、というものでした。そしてこれは一般的なRPGのひとつの形でもありました。

『FF7』以降はそれが変容し、むしろ主人公を(プレイヤーキャラクターとしての)主人公たらしめるのは「世界の危機」の役割となった、という言い方もできるかもしれません。ボスがジェクトだからこそ主人公はティーダであり、それ以外の誰も他者によって選ばれることは不可能なのです。

これらの作品は、世界の危機という大きな物語を描きつつ、主人公の内面に関わる個人的な物語を描くというRPGの一つの目標を、効果的かつ効率よく達成することにもなったのです。

◆「物語」の完成形としての『FF10』

物語の「セカイ化」が進む中、2001年発売の『ファイナルファンタジーX』で「物語」は頂点を迎えました。

第1回でとりあげた「アニメ化と観る物語の融合」はここでひとつの完成を迎えます。キャラクターにはついに音声がつき、ハードの世代交代でCGムービーはさらに豪華になりました。すばらしい主題歌にあわせて流れる美しいムービーは、多くの人に「感動」をもたらしてくれました。すでに「泣ける」ことはRPGの賛辞として最高のものとなっていました。当時はキャラクターに声がつくことに抵抗を感じた方も多かったかと思いますが、今ではあらゆるRPGで、当たり前のように受け入れられています。

さらに第2回で取り上げた「モラトリアム期間の延長」として「ブリッツボール」というスポーツに延々と打ち込んだり、「すべてを超えし者」という、もはや世界の序列など完全に無視した名前の裏ボスも登場しました。世界を救うという使命を背負っているはずの旅は、多くの寄り道を許し、圧倒的な強さの裏ボスはラスボスの弱さを際立たせていきます。

その一方で「タナトス」を失わない形として、ゲームのエンディングで「ティーダ/プレイヤーの同時消滅」という方法をとりました。「プレイヤーと主人公の物語を同時に終わらせる」という最期。モラトリアムの延長によるタナトスの失効は、主人公の消滅という悲劇によって抑制されたのです。

さらにさらに、「世界の危機=父親」という究極の「セカイ化」を物語の型としつつ、「シン=罪=父親」を殺すという「ビルドゥングスロマン」、主人公の成長における「父親超え」という最終目標を描きました。仮にユウナが主人公なら、社会的承認によって召喚士という役割を背負った主人公が自らの犠牲を経て世界を救う(ユウナが究極召喚を使うと「シン」を倒す代償に命を落とす)という典型的な話になるでしょう。『FF10』の「きみとぼく=ユウナとティーダ」は、世界の命運を背負うヒロインの犠牲を回避しつつ、消滅する主人公が自身と深い関係にある「父親=世界の危機」を超克することで、「物語」を終わらせるのです。

シリーズとしても国産RPGの歴史としても、『FF10』はひとつの区切りとなる作品だった、といえるのではないでしょうか。

◆物語の可視化と弱体化

ここからは、『FF10』以降の作品をみていきたいと思います。シリーズ初の続編作品となった『ファイナルファンタジーX-2』(2003年)では、「強くてニューゲーム」「コンプリート率」という要素が採用されました。前回も少し触れましたが、強くてニューゲームでは「プレイヤーはゲームバランスという名の神の領域をはじめから侵して」おり、そこでは物語はプレイヤーにとって対峙するものとして存在するのではなく、繰り返し消費されるために用意されることになります。

さらに厄介なのが「コンプリート率」です。

    「コンプリート率」各イベントごとに値が設定されており、特定のセリフを聞くことで習得することができる。コンプリート率によってエンディングが異なり、エンディングの時点でコンプリート率が100%以上に達した場合のみ、本当のエンディングを見ることができる。強くてニューゲームで始めても稼いだデータを引き継げる代わりに、重複での取得はできないようになっている。(Wikipedia)

ノベルゲームでしばしば見られるこの達成率という要素は、繰り返しプレイすることを前提にしています(だからこその「強くてニューゲーム」なのですが)。この数字によって、ゲームの進行度は明確になり、その世界は有限なものとなっていきます。ではこの達成率とは、誰が、何を達成したものなのか? それはもちろんプレイヤーが、ゲームのイベント消化を達成したもの。重要なのは、それが(主人公であるユウナではなく)プレイヤーにとってのもの、ということです。

主人公=プレイヤーという位置づけにおいては、物語とは主人公が体験した出来事を示すものでした。『10-2』には、プレイヤーにだけ分かる達成率という数字があります。物語がここで100%になるよ、という範囲が可視化されることで、プレイヤーはメタレベル(ゲーム世界の上部)に引き上げられます。けっしてユウナが「いま80%かぁ、まだまだがんばるぞ♪」となるわけではありません。そうしてプレイヤーは主人公から離れ、異なるレベルに位置することになります。

私はシリーズの中でもベスト3に入るほど本作が好きですが、どうしてもユウナをはじめとしたプレイヤーキャラクターに感情移入できない。その理由を考えていました。シリーズの続編で主役交代したからなのか、女性キャラが主人公だからなのか、おしとやかだったユウナがハジけちゃったからなのか……。

実はそうではなく、そもそも主人公=プレイヤーという考え方自体が間違っていたのです。「コンプリート率」という物語の可視化と、物語のレベルを超えた強さを手に入れる「強くてニューゲーム」との組み合わせにより、プレイヤーは限りなく神の領域に近づいていきます。

まるで『ザ・シムズ』のように、上からユウナを導きながら、様々な人々や出来事との出会いで成長をうながし、ついに想い人との再会を果たさせる、これがこのゲームとの正しい向き合い方なのです。神が人を操るーーそう、『FF10-2』は「箱庭ゲーム」だったのです。それも、ユウナを中心とした箱庭です。達成率はプレイヤーに世界を見通す力を与えると同時に、まるで天動説のように、主人公を中心として回る世界を明確にしました。『FF10-2』の世界は、ユウナを中心に周る箱庭世界であり、プレイヤーは神としてそれを導くのです。

本作に限らず、神にとって、下界の小さなイベントのひとつひとつは瑣末なものに過ぎません。エンディングもあくまで主人公のもので、プレイヤーが主人公の立場から体感できるものではなくなってしまいました。プレイヤーがRPGで獲得した神の視点は、物語に対峙する際の客観性を産み、結果としてそれを弱体化させる要因のひとつともなりました。RPGをプレイしていて、盛り上がっている場面にも関わらず、まるで傍観者のように冷静な自分に気づくことはありませんか?

この箱庭世界において神の位置にいるのはプレイヤーですが、実はもうひとり、この位置に存在する人物がいます。

それがティーダです。前作でプレイヤーとともに消えたティーダは、本作で神になったプレイヤーと同質化した上で、ユウナの様子を「外部」から眺めています。そして、ユウナが自身の物語を繰り返しながら世界を導いていくことで、まるで「素敵だね」とねぎらいの言葉をかけんばかりに物語の「内部」へ還っていくのです。外部に取り残されたプレイヤーは、ユウナとティーダの再会を、まるで仲人のような微笑みで見送るしかないのです。……という考え方はこじつけが過ぎるかもしれません。分かってはいます。

次回は『ファイナルファンタジーXI』以降について書いてみたいと思います。

記事提供元: Game*Spark
《Game*Spark》

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