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【e-Sportsの裏側】「e-sports SQUARE」店長に聞く、日本e-Sportsの未来

第2回目の【e-Sportsの裏側】を飾るのは、日本初のe-Sports専用プラットフォームとして、2014年に鳴り物入りで秋葉原に拠点を構えた「e-sports SQUARE AKIHABARA」の店長を務める本田亮輔氏に、その笑顔の裏に秘めた熱い思いを語って頂きました。

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e-Sportsに携わる「人」にフォーカスを当てて、これからの日本のe-Sportsシーンを担うキーパーソンをインタビュー形式で紹介していく【e-Sportsの裏側】。第1回目はMulti-Gaming Teamである「DetonatioN」CEO梅崎伸幸氏へのインタビューを敢行し、日本のe-Sportsチームが抱える課題や今後の展望について語って頂きました。

第2回目の【e-Sportsの裏側】を飾るのは、日本初のe-Sports専用プラットフォームとして、2014年に鳴り物入りで秋葉原に拠点を構えた「e-sports SQUARE AKIHABARA」の店長を務める本田亮輔氏に、その笑顔の裏に秘めた熱い思いを語って頂きました。


―――本日はお時間を頂きありがとうございます。「e-sports SQUARE AKIHABARA」ができてから、あっという間に1年以上が経過しましたね。

本田氏:ありがとうございます。2014年の1月24日に秋葉原にてオープンをさせて頂いて、バタバタと1年が過ぎてしまいました。

―――今の心境はどうでしょうか?

本田氏:いろいろあったなぁ…と。良いことも悪いこともひっくるめてですが。

―――本田さんから見て、日本のe-Sports市場はどうですか?

本田氏:以前に比べるとかなり認知度が高まったな、と感じています。e-Sports専門学校等も設立されるようで、一般の方にも「プロゲーマー」という単語が知れ渡ったなと。

―――本田氏も以前はe-Sportsのプレイヤーでしたよね?

本田氏:「daahon」というプレイヤーネームです。

―――本田さんはこれまでどのようなキャリアを歩まれているのでしょうか?

本田氏:現在はe-sports SQUARE AKIHABARAの店長をしておりますが、元々は設計関係の専門学校に通っていて、CADを用いて設計についての勉強をしていました。専門学校を卒業した後は、某自動車メーカーで車の設計士として3年間勤務をしまして、その後飲食業界の会社に転職をしました。もともと個人経営のお店に携わりたいと考えておりまして「個人経営でやりやすいのは何だろう?」と考えた時に、一番はじめに頭に浮かんだのが飲食店。「飲食業でお店を持てることを目指そう!」ということで、前職とは全く違った業界に足を踏み入れました。

―――なるほど。今とは全然違う業種・職種ですね。

本田氏:そうですね。そこで2年間調理師として働いたあと、今度はパチンコ店で勤務をしていました。

―――また全然違う業界ですね(笑)。

本田氏:はい…(笑)。こちらも2年半くらい働かせて頂きまして、その後三光パートナーズ株式会社(現:株式会社SANKO)に入社をしました。

―――すごい経歴ですね。SANKOに転職された経緯はどういったものなのでしょうか?今までされていたお仕事とはかなり毛色が違いますが。

本田氏:当時27歳だったのですが「自分がやりたいことをやるなら今しかない。何かやるなら今しかない」と思い立ち、昔自分がe-Sportsのプレイヤーだったということもありe-Sportsに携われる仕事を探していました。そこで、当時三光パートナーズが携わっていた「eスポーツジャパンカップ」という大会がありまして「こういった大会を運営している企業があるんだ」「広告代理店がこういうことやっているんだ」と非常に関心を持ちました。すぐに履歴書・職務経歴書を書いて、会社宛に送りましたね。なんとか入社することができまして、今に至ります。

―――三光パートナーズ時代はどういった職種でしたか?

本田氏:当時は営業活動をしていました。ただモノを売って終了、ではなく、イベント案件を受注したなら「イベント全体のプロデュース」までを行うことが非常に多かったです。仕事を取ってくるところから納品するところまで全てに携わる業務でした。

―――ゲームのクライアントさんを担当されていたのですか?

本田氏:はい。厳密に言うと、ゲーム業界周辺のクライアント様を担当させて頂いておりましたしていました。ゲームメーカーさんに限らず、ゲームのデバイスメーカーさんともお付き合いをさせて頂いております。途中1年間は、ゲームクライアント様から少し離れて、アミューズメント業界様エンターテインメント業界の仕事をしていました。

―――三光パートナーズに入社されてご自身の夢に近づいた、ということですかね?

本田氏:そうですね。17歳の時にValveさんが手がける『Counter-Strike』に出会いまして、専門学校に通っている時に運良く世界大会に出場することができました。そこでアメリカのダラスにて開催されていた「Cyberathlete Professional League」(CPL)という大会に出て、本場のe-Sportsというものを知りました。そこからe-Sportsというものにのめり込んでいきましたね。

―――本当に変わったキャリアですね。

本田氏:学校を卒業したあとにe-Sportsに携われるキャリアは、当時は皆無でした。専門学校を卒業し、会社勤めをし始めたあとは、ゲームをする時間はやはり短くなりましたね。

―――当時はゲームで食べていく、という概念はなかった?

本田氏:全然なかったですね。今でこそ、メーカーさんやPCデバイスメーカーさんがスポンサーになって大会を開催されるのが増えてきていますが、当時は賞金制の大会なんてほぼありませんでした。ましてや、スポンサーがつくということ自体もとても珍しいことでした。ゲーミングハウスが設立されたり、大会で優勝すると賞金が貰える、といった話は当時では本当に夢のような話でした。


―――選手・プレイヤーの立場から見ると、大会に出場するモチベーションは上がりやすくなっていると思いますか?

本田氏:桁違いに発展していると思います。現在、日本で一番人気のFPSタイトルの大会が2,000人くらい集まったりしているわけです。当時の一番人気のFPSタイトルが『Counter-Strike』だったのですが、「世界大会の予選をやります!」と告知して、集まる観客の数って40人くらいでした。世界大会の予選で40人…。今思うとイベントとしては破綻してますね…。

―――学生時代に『Counter-Strike』の世界大会に出場されていたと思うのですが、本田さんと「ゲーム」の一番はじめの接点は何だったのですか?昔からゲームはよくやられていたのですか?

本田氏:ゲーム自体はプレイしていました。が、ファミコンとかスーパーファミコンとかのコンシューマー系でした。『くにおくん』シリーズとか『ロックマン』シリーズとかですね。オンラインゲームに入っていったのは『Counter-Strike』が初めてでした。

―――きっかけは?コンソールでゲームをプレイしている人がオンラインゲームをプレイし始めるにはハードルが高いと思うのですが。

本田氏:家にケーブルテレビが入ったタイミングだった気がします。ケーブルテレビが入って、無料でインターネットが使い放題になり、「インターネットを通じて、他の人とゲーム対戦できるのかな?」といろいろ調べていて『Counter-Strike』に出会いました。

―――初めて『Counter-Strike』に出会ったのが17歳とのことでしたが、18歳でCPLという世界大会に出たということは、1年間で世界に行った、ということですね。すごいですね!

本田氏:いや、当時はそこまで競技人口もいなかったし、今ほど本気でゲームをプレイしているプレイヤーもいませんでした。それと運が良かっただけです。

―――社会人になってからは、全くゲームをプレイしなくなったのですか?

本田氏:やらなくなりましたね。ただ、パチンコ店に勤務していた時は、アーケードの『ストリートファイターIV』にものすごく熱中していました。当時、神奈川県と千葉県で「17on17」の対抗戦がありまして、そこで一応神奈川県の代表としてプレイしていました。それくらいはやりこんでいましたね。ちなみに持ちキャラは「エル・フォルテ」でした。

―――FPS以外もゲームをプレイするのですね。

本田氏:最近は仕事柄、色々なゲームをプレイしていますが、すっごいやりこんだな、と思うタイトルは『Counter-Strike』と『ストリートファイターIV』ですね。

―――一日どれくらいプレイをしていたのですか?

本田氏:今考えると相当やっていましたね。私が働いていたパチンコ店の勤務時間は短かったので、終わった後にゲームセンターに行ってプレイしていました。朝8時出勤で夕方4時退勤とかだったのですが、退勤後はゲームセンターが閉店するまでプレイしていました。休みの日は一日ゲームセンターにいました。

―――ゲーム自体がお好きなんですね。

本田氏:のめり込むととことんやりますね。ただ最近は、どのゲームをやってもイライラしっぱなしです。若い子たちに全く勝てないので(笑)。肉体や精神が追いつかないですね。

※次ページ: e-Sportsムーブメントの予兆?前身となる市川店での苦悩など

《Game*Spark》
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