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【GDC 2014】『シェンムー』はいかにして生まれたか? 鈴木裕氏が20年の時を経て語った言葉

【GDC 2014】『シェンムー』はいかにして生まれたか? 鈴木裕氏が20年の時を経て語った言葉

2014年3月20日(木) 19時41分

3月19日14時(現地時間)「CLASSIC GAME POSTMORTEM Shenmue(クラシックゲームポストモーテム シェンムー)」と題されたセッションが開催されました。登壇者は『シェンムー』の開発者で原案者、元セガの鈴木裕氏(現YSnet代表・以降は親しみを込めて裕さんと記します)です。登壇にあたっては過去にセガに在籍したマーク・サニー氏が立ち会うという印象的なものでした。



今回のセッションは、なぜ裕さんが『バーチャファイター』というヒット作を経て、『シェンムー』というRPGコンテンツを手掛けたのかというポイントと、それがもたらしたものを振り返るというものです。

私自身が93年からセガに入社し、アーケード版の『バーチャファイター』の導入、セガサターンへの同作品の移植、そして『バーチャファイター2』の導入を間近で見てきたのですが、その時間を共有したとはいえ、当時はうかがい知れなかった裕さんの考えていた物事を今回のセッションで触れることができたのは貴重な体験でした。

まず、裕さんの経歴の振り返りから始まりました。83年にセガ(当時はセガ・エンタープライゼス)に入社したところからでした。当時はアーケードゲームを開発し、約3分間という限定されたプレイ時間でのゲームエッセンスの凝縮ということに注力していたのですが、次のチャレンジは「時間制限のないゲーム」を手掛けてみたいと思っていたそうです。それが家庭用ゲームです。

そのため、当時のRPG系ゲームを数多く研究したそうです。しかしプレイヤーキャラクターが壁に向かうと立ち止まってしまうことや、NPCがあまり賢くないということに気が付き。それらを改善すればもっと面白いゲームができるのではないかというのが開発のきっかけになったということです。

その企画の方向性が決まったところで、セガで発売したばかりのセガサターンを使用して研究開発を始めました。当時の開発企画書がスクリーンに映し出されました。

それが「桃の爺さん(じいさん)」という企画でした。キャラクターは桃が食べたいという爺さんと、太郎という若者のキャラクター。爺さんは太郎に「桃が食べたい」と言われて、太郎が「桃」を探しに行くというストーリーのRPGです。ストーリーやイベントモードでゲームは成り立ち、裕さんの考えた『バーチャファイター』のアキラを始めとしたキャラクターを使ったRPGへの布石となりました。

そして、その構想をもとに1996年から、より具体的な研究に入りました。開発に当たっては『バーチャファイター』の開発システムエンジンを活用し、基本的なコンセプトはフルサイズ・フルボイス・フルストーリーという妥協のないものでした。また、ゲーム性に厚みをもたせるために、感情の移入度を上げること、困難と言われた複数対戦を可能にすることなどを構想のなかに盛り込みました。

またストーリーのベースになっているのは1993年の訪中でした。その時の中国少林寺での体験や八極拳の呉老師らとの交流からその思いを強めていくことになり、そのテーマを掘り下げてゲームの内容に仕上げていったそうです。

そして、実際の『シェンムー』を作るにあたり起承転結を考えました。それがシェンムーのストリーべースである「悲しみ=父の死」「修行=中国へ」「戦い=藍帝との戦い」「終章=旅立ち」という構成になっています。

また当時は斬新であったシナリオ開発のために一般的なゲーム関係者のみならず映画関係者などと定期的なミーティングを行ってきたこともあったそうです。


それらの試行錯誤を経て、全11章のゲームシナリオが完成しました。その狙いはメインストリーを小説形式にしてドラマ性を強調したものでした。最終的には主人公も「アキラ」よりも若いキャラクター設定を行いました。それらの開発工程を管理することが当時は大変で、今のようにネットでの管理もなく、エクセルなどの手書きでの管理だったということで今ならばもっと簡易にできるとのことでした。

しかし、長期にわたる研究開発になり、1997年にはなると、セガサターンが事実上初代プレイステーションに敗北してしまったために、ドリームキャストへ仕様変更を余儀なくされます。当時の開発機は「次世代サターン」と書かれた企画書がスクリーンに提示されました。まだ「ドリームキャスト」という名前ではなかったことが伺えます。

ここに至って、裕さんが考えていたオープンワールドが具現化するめどが立ちました。つまりそれは、プレイ時間に制限のないゲーム、何度でもゆっくりと遊ぶことのできる世界です。

ゲームの仕様自体はリッチなものでした。ムービーシーンに全5時間分の再現を割くことで、映画的な表現を追求し、複数対戦に4時間のプレイ時間を想定、これはバーチャファイターよりも広いフィールドを用意しました。またゲーム内の探索に4時間、ゲームの移動会話に8時間、拳法の伝授に4時間、森や地下のダンジョン探索に4時間、さらには「章」をまたぐダンジョンクリアには4時間などの合計45時間をプレイ時間を想定して考えました。最初から最後まで飽きのこないゲームという世界観は今でいうところのオープンワールドの概念に等しいものです。

次世代機ドリームキャストのスペックが固まってくるなかで、98年に、最終的なゲームタイトルとして『シェンムー 第1章 横須賀』と決定しました。そのコンセプトは「ゆったり、たっぷり、しっとり」というものでした。

最後に裕さんが実現したかったことに関して触れました。それは4つのキーワードです。

1.オープンワールドとしての、広大な街、ゲームセンター、通行人との会話など細かい点までの作りこみです。長く遊んでも、好きなだけでいて飽きない感じにしたというものです。
2.シネマティック=映画的な表現をしたかった。ゲームシーンとムービーシーンの差がなくなるように設定しました。双方が違和感のなさを両立しました。
3.GTE クイックタイムイベントの実現です。今では当たり前のようなインタラクティブイベントですが、当時は困難を極めました。しかし、タイミングプレイが苦手な人でも遊べるような仕様にしました。
4.フリーバトルです。従来の1対1ではなく、1対多数のバトルによる自由度の拡張が狙いでした。そこにおいてシームレスな切り替えを可能にすることでした。

これらを踏まえて次世代機ドリームキャストでの導入を行うにあたりデータ圧縮を徹底して行いました。CD-ROM50枚分を3枚に圧縮するのはとても大変でしたが、木や、岩などの細かいデータをパラメータごとに準備しマジックメイズのリアルタイム生成を実現しました。九龍城の再現と再生も同じ技術が用いられています。同じくマジックルームではビルは、ドア、部屋、窓などのユニットごとのデータをパラメーター化して生成しました。また現在では当たり前のようになったマジックウェザーも、最初は86年からの気象データを手入力していました。最終的にはプログラム計算により天候計算を行うようになりました。

さらには、ゲームを長く遊んでもらうための調整として、NPCの行動制御を行いました。1999年は最後のバグチェックを24時間体制で行いました。バグは1日300個も見つかることもあったそうです。


最後の質問タイムではファンから、「シェンムーの続編を作ってもらえないでしょうか?」という質問があり、「『シェンムーIII』は作ってみたいですね」とコメントする一方で「何かにとらわれずに、趣味で新しいことにもチャレンジしたいですね」とコメントしていました。

今回のセッションでは、当時、AM2研に在籍した私でも初めて聞く話も多く、多くのゲーム関係者にとって勇気を与えるような話が多かったと感じました。

また裕さんが感じていた、ゲームのユーザーに対しての不親切な部分をどのように改善するかという問題意識も、今でこそ改めて考えるべきテーマではないでしょうか。

当時、新しいものを創り上げようとした時に、どのようにして障害を乗り越えたか、その勇気を改めてGDC2014で発表するというその姿勢も素晴らしいと感じました。今に至る作品の多くが裕さんのクリエイティブの影響を受けているとい言っても過言ではないと思います。

『バーチャファイター』から20年目の節目にあたる2014年、これからも、裕さんの新しいチャレンジに期待したいと思います。

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(Article written by 黒川文雄)

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