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【CEDEC 2011】「はやぶさ」ミッションを成功させたイオンエンジン開発物語

【CEDEC 2011】「はやぶさ」ミッションを成功させたイオンエンジン開発物語

2011年9月8日(木) 19時00分
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テーマに「クロスボーダー」を掲げたCEDEC2011。初日の基調講演を努めたのは、日本中の注目を集めた小惑星探査機「はやぶさ」に搭載された、足かけ20年以上にもわたるイオンエンジンの開発・運用物語でした。

講演名は「未踏宇宙を拓く『はやぶさ』探査機搭載イオンエンジン」。スピーカーは宇宙航空研究開発機構/宇宙科学研究所の國中均さんです。

■小型ロケットゆえに求められた電気ロケット
はじめに用語の整理を行いましょう。地球から宇宙に出かける乗り物をロケット、宇宙を惰性飛行する乗り物を人工衛星(惑星)、そして宇宙を動力飛翔する乗り物を宇宙船と呼びます。

大前提として日本の宇宙開発では有人ミッションが存在しないため、小型ロケットしか持てない制約があります。そのため探査機のリーチを伸ばすためには、動力飛翔を行わせるしかありません。つまり「小型ロケット」と「宇宙船」の組み合わせが求められます。「はやぶさ」もまた無人で遠隔操縦ができる「宇宙船」なのです。

宇宙船の動力源には化学ロケットと電気ロケットがあります。化学ロケットは「枯れた技術」で信頼性は高いのですが、燃料タンクの重量が必要で、宇宙船が重くなります。一方、イオン化したプラズマを噴出して推進するイオンロケット(電気ロケット)は、燃料タンクが軽減でき、宇宙船を軽くできるメリットがあります。

ただし、従来は燃料のキセノンをプラズマ化させる際に電極を用いていたため、耐久性に難がありました。そこでマイクロウェーブの放射でプラズマ化させる新技術の開発が進められました。「マイクロ波放電式イオンエンジン」、ひらたくいえば電子レンジ方式の新エンジンです。この実用化がミッション成功の鍵を握ったのです。國中氏は「米ソに比べて日本は宇宙開発で後発だった。劣勢は新技術を試すチャンスだった」と語ります。

「電子レンジ方式」の研究開発は1980年代後半にスタートし、第1号「Y-1」が実験室で成功を収めたのは1989年。ただし効率が悪く実用に耐えませんでした。そこから粛々と改良が続き、「はやぶさ」に搭載された2001年の「μ10」まで、約10年の年月が経過することになリます。ゲーム機で言えば二世代にあたります。

電源システムや制御ソフトウェアなどのシステム周りの開発も平行して進みました。もっとも研究資金は潤沢ではなく、ジャンク屋でパーツを買い求めることもあったそうです。当時はWindows前夜で、制御や分析にはPC-9801シリーズが使われていました。

■「そんなエンジンで大丈夫か?」「大丈夫だ、問題ない」
1985年、国際ハレー彗星観測年。米ソ欧が観測衛星を打ち上げます。390kg〜5トンという大型の衛星にまじって、日本も遅れること3年、1998年に初めて太陽を回る軌道に探査機を投入しました。もっともロケットの制約から、衛星の重量は140kgと小型。そんな中で早くも小惑星からサンプルを収集する小研究会が発足していました。

1993年にMUSES-C(はやぶさ)計画の立案が開始。計画書には小惑星の離脱に電気ロケットの必要性が示唆されています。もっとも、この時点で「電子レンジ方式」がモノになる確証はありませんでした。それでも國中氏は「問題ない」と言い切ったと振り返りました。「エンジニアとして、時にはハッタリが必要なこともある」(國中氏)。

この背景には日米の宇宙開発事情の違いもありました。アメリカでは宇宙開発の技術準備分やが厚く、ミッションごとに必要な技術を組み合わせて、短期間に衛星を開発できます。いわばミドルウェア方式といえるでしょう。
 
しかし日本は層が薄く、システム開発とコンポーネント開発を同時並行せざるを得ないのが現状でした。つまり衛星ごとにゼロから積みあげるフルスクラッチ。しかも電気ロケットの研究費は当時、年間で数百万円レベルという低予算。この状態で、なんとか衛星搭載機器開発に必要な数億円という資金を調達する必要があったのです。

イオンエンジンの耐久試験は2年半の実時間耐久試験が2回、あわせて約5年間行われ、打ち上げぎりぎりまで試験が続きました。5年もたてば自動制御のインフラ技術も進化します。当時普及し始めたインターネットを遠隔監視・制御に活用。 緊急呼び出しもポケットベルから携帯電話となりました。

この間、國中氏はミッションパッチを自作して、節目ごとに飾っていきました。いわば「実績」「トロフィー」です。 パッチにはアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のイラストが使われ、波動エンジンがイオンエンジンに修正されたのはご愛敬。パッチ作りは以後「はやぶさ」帰還まで継続して行われてきます。國中氏は「日米欧の国際的なチームで一体感を作り上げるために、非常に効果的だった」と語ります。

03年、M-V5ロケットに搭載された「はやぶさ」が、種子島宇宙センターから打ち上げられました。打ち上げ成功後、「はやぶさ」に搭載されたイオンエンジン「μ10」が加速を開始します。巡航を続けながら、地球の重力を利用してスイングバイ加速。05年に小惑星に着陸してサンプルを採集し、07年に帰還する計画です。

05年、予定通り小惑星に着陸。サンプル採取後、再離陸します。ところが直後に燃料漏れが発生し、はやぶさが高速スピン状態になりました。以後「想定外」の事態が連続します。これ以降の「奇跡の帰還物語」は、メディアで広く報道されたとおりです。

地球からのコマンド送信を続け、音信不通から1ヶ月半後にビーコン電波の再補足に成功。推進剤キセノンを噴射する「奇策」で、姿勢変更と軌道制御を実現しました。連続運転でイオンエンジンが故障した際も、2台のイオンエンジンをクロス運転で動かすことで1台相当のエンジンとし、乗り切りました。

このクロス運転を実現した部品は、わずかダイオード1個。予算も時間も重量も厳しい制限のある中、「たった1gで実現できる回路を作るのが、エンジニアの頭の使いどころ」だと國中氏は語ります。当初の心境も、70%は「困ったことになった」が、 30%は「やってみたい」という心境だったそうです。

その後、再びイオンエンジンによる精密誘導を経て2010年6月13日に大気圏再突入。カプセルは無事回収されました。

■22桁の技術向上がもたらした意味
「はやぶさ」以前も望遠鏡やレーダーで小惑星イトカワの像は確認できました。これがランデブー、着陸、そしてサンプルリターンで、イトカワの原子分析まで可能になりました。距離にして10の12乗メートルから、10のマイナス10乗メートルの距離にまで近寄って見られるようになったのです。國中氏は「22桁の技術向上。技術革新で行けなかったところに到達でき、見えなかった物があきらかになった」と語ります。

繰り返しますが、ミッション成功の鍵を握ったのは「信頼性の高いイオンエンジンの開発に成功」したことでした。「姿勢制御など、当初想定していなかったイオンエンジンの機能を引き出せた」こともあるでしょう。しかし國中氏は「打ち上げ後も改良が続けられた運用システムなど、ソフトウェアの組み合わせ」あってのことだと振り返ります。

「イオンエンジンは一度飛ばすと修理に行けない。探査機も摩耗してくだけ。一方で地上のコンピュータシステムやソフトウェア、運営スキルは日々向上する。両者の組み合わせでミッションは完遂できたというのが、本当のところでは」(國中氏)。

マイクロ波放電式イオンエンジンは基礎研究から開発、応用まで、小さなステップの積み重ねでした。打ち上げ以後も、さまざまなミッションの数珠つなぎで「たすき」が受け渡されてきました。こうして回収されたサンプルは、4割が新技術や新知見による分析を期待して、後生に残されています。また、こうした技術やサンプルを日本が所有することで、世界をリードする立場に立ったことも大きいとも語ります。

「はやぶさ」ミッションもまた次世代に受け継がれています。12年打ち上げ予定の「はやぶさ2」を経て、現在は巨大膜面太陽電池を用いた無人宇宙船の研究開発が進行中。木星の重力を利用したスイングバイで、太陽系外縁部の探索も視野に入れられています。
 
研究開発から「はやぶさ」成功まで約20年。國中氏のエンジニア人生は、イオンエンジンと共にあったと言っていいでしょう。1プロジェクトが10年単位という宇宙開発では当たり前なのかもしれませんが、その目標設定能力と問題解決能力、なにより粘り強さには敬服させられます。「マイクロ波放電式」という技術が成功する確証がなかったにもかかわらず、です。

一方でゲーム業界でも過去20年、ゲームエンジンの研究開発が進んできました。「Unreal Engine」で有名なエピックゲームズのティム・スウィーニー氏が、前身の「ZZT」をリリースしたのが91年。キャラクターベースのDOSゲームでしたが、「ZZT-OOP」と呼ばれるスクリプト言語を統合し、ゲームエンジンとしての思想を早くも体現していました(英語版Wikiより)。その先見性と現在まで続く継続性には驚かされます。

最後に國中氏は「小さな技術革新が世界を先導し、次の未来を開いた。決まった未来はない、未来は創るものである。もう1つ、挑戦しなくては未来は開かない。(前後略)」とメッセージを投げかけて、講演を終了しました。ゲーム業界においても、先の見えない不確かな時代だからこそ、自らが切り開いていく姿勢が重要だといえそうです。

(Article written by 小野憲史)

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