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【Indie Japan Rising】同人ゲーム専門店は生き残れるのか?三月兎さんげっと店インタビュー

そこで今回のIindie Japan Risingではさんげっとの店長である海亀有限会社の川崎順平氏を直撃。国内のインディー開発者に焦点を当ててきた本企画だが、今回は趣向を変えた特別編として、店長の川崎氏にお店の成り立ちから同人ゲームやパッケージゲームへのこだわりを聞いた。

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illustrated by tac_tis  

秋葉原の中央通りをひとつ西に入ると、PCパーツやジャンク品を販売する店舗がひしめいている。同人誌や同人音楽を販売するショップも数多くあるが、中でも三月兎さんげっと店は同人ゲームを積極的に販売する一風変わったお店だ。

ところ狭しと並べられた同人ゲームのパッケージ。タブレット型の店頭デモでは数多くのPVが再生している。極めつけは3台のアーケード筐体型PC。数十種類以上の同人ゲームの体験版が店内でプレイでき、ちょっとしたゲームセンターの雰囲気が味わえる。

現在のさんげっと店は昨年10月に移転した新店舗だ。以前はPC雑貨屋の一角で同人ゲームを販売していたが、リニューアル後は同人ゲーム専門店としてオープン。ところが先日、Twitterアカウントでさんげっと店の経営の厳しさが明かされた。このままの売上では現状の店舗形態を維持することができないと訴えている。


そこで今回のIndie Japan Risingではさんげっとの店長である海亀有限会社の川崎順平氏を直撃。国内のインディー開発者に焦点を当ててきた本企画だが、今回は趣向を変えた特別編として、店長の川崎氏にお店の成り立ちから同人ゲームやパッケージゲームへのこだわりを聞いた。さらに今後、同人ゲームのパッケージ販売が生き残るための施策をうかがった。

■雑貨屋の一角から始まった同人ゲーム専門店



――今回はインタビューにお越しいただいてありがとうございます。いつもはクリエイターの方にお話をうかがっていますが、今回は三月兎さんげっと店の川崎順平さんに来ていただきました。さんげっとは同人ゲームの販売に積極的なお店です。あれだけの同人ゲーム、しかもパッケージを販売している実店舗は世界にも類を見ない場所だと思います。

川崎:
確かにそうですね(笑)。

――まずはお店の紹介をお願いします。

川崎:
現在の店舗は昨年の10月に移転しました。もともとは有名な牛丼屋さん「サンボ」の目の前にありました。当時は雑貨を扱う店舗の一角で同人ゲームを扱っていましたが、その店舗を撤退してリニューアルすることで、同人ゲーム専門の現在の店舗ができました。

おかげ様で以前よりも作品の回転率が速くなりました。コミックマーケットの時期は『REVOLVER360 Re:actor』、『アスタブリード』といった人気作の販売速度が1.5倍程度上がりました。またコミケが終わると右肩下がりな業界ですが、うちの店舗は極めてロングテールな売れ方をします。特に評価が高い作品、『神威』や『Hellsinker.』などはいつも手に取られます。同人ゲーム自体の開発ペースはゆっくりなので、コミケ時期に5本新作が並ぶと上々、10本だと豊作です。そのため、うちでは旧作も積極的に販売しています。他のショップは新作中心ですが、うちでは旧作を購入する方はとても多いです。

また最近は若い子がゲームをしなくなったと言われますが、うちの店では旧作の同人ゲームを購入する若い層がいます。というのも、新作が面白かったら旧作も遊びたくなる。しかしながら、古い作品は手に入りづらいため、うちで購入されるのだと思います。



――もともとは雑貨屋の一角ということですが、同人ゲームを扱うようになったきっかけは?

川崎:
うちの社長は同人活動にもともと理解のある方でした。2003年に1号店をオープンする際、どうしても商品が足りないということから、同人を扱うことになりました。馴染みのショップさんに仲卸をやっていただき、同人ゲームや同人CDを販売しました。それがきっかけです。その時点では直接同人サークルさんに営業をかけることはなかった。同人関係は営業力が重要ですが、最初は何のつながりもありませんでした。

――確かに皆さんコミケに足を運ばれ、名刺を配っていますね。

川崎:
結局はマンパワーなんです。そこで同人かゲームに詳しい人が必要でした。僕はもともと同人の世界も知っていたし、ゲームも好きでした。世代的にはPC88、MSX、X68000 が流行っていました。

――ホビーパソコン世代ですね。

川崎:
MSXではBASICでプログラミングもしていました。PC88の時代はパソケットというイベントに参加して、同人ゲームを購入していました。当時はメッセサンオーさんが店舗の一角で同人ソフトを扱い始めましたが、まだゲームではなくアプリケーションでした。本格的なゲームの委託販売が始まるのは1998年以降の渡辺製作所の『THE QUEEN OF HEART』からです。それまではBBSなどでやりとりして為替でゲームを買うような世界でした。

――ちなみに三月兎さんといえば、店頭に設置された筐体型の試遊台が有名です。旧店舗からありましたが、どういった経緯で導入したのですか?


筐体型試遊機「うさブラスト」。現在はバーコードでゲームをセレクトできるようになった。


川崎:
うちの各店舗では夏に氷柱を設置したりしています。夏はそれが話題になり、ニュースサイトで扱われるため、広告のような扱いです。そこでうちの上司がネタづくりのために勝手に筐体の設置を始めました(笑)。せっかくなので、デモを表示したかったのですが、勝手にやるわけにいかない。そこで最初に直接取引していたASTRO PORTさんの体験版を使用させていただきました。

――なるほど。

川崎:
さらにASTRO PORTさんの体験版が流れているところに、RebRankのYokoさんが偶然、通りがかったのです。自身のゲームを筐体で走らせたいとYokoさんがTwitterでつぶやいたため、つながることになりました。Yokoさんには良くしていただき、いろんなサークルさんを紹介してもらいました。結果、シューティングやアクションのサークルさんと直接の営業が始まりました。2011年はちょうどメッセサンオーさんが同人ゲームから撤退した時期で、多くのサークルさんが落胆していましたが、タイミングよく受け皿になれたと思います。

――当時は僕もよく覚えています。そもそも同人ゲームに興味を持ったのは、中央通りのメッセサンオー同人館のおかげです。あの店舗は非常に選りすぐったタイトルを扱い、店頭でデモも流していました。閉店することになり、非常に落胆した記憶があります。

川崎:
あの時期は本当に皆さん落胆していました。しかしながら秋葉原はかなり家賃高く、さんげっとが入っているところも月100万円はかかります。中央通りだとどんなビルでも200、300万はかかるでしょう。さらに2011年は震災の年。秋葉原では電池やランタンといった雑貨類は結構売れましたが、ゲームといった嗜好品の消費は冷え込みました。さらに前年には個人情報の漏洩問題などもあり、アダルトゲームが売上の中心を占めていたメッセサンオーさんのお客さんは減っていきました。2011年以降も良作の同人ゲームもたくさんありましたが、アダルトゲームなどと違って、一般向けゲームソフトは個人ニュースサイトやブログにも掲載されにくい。

※次ページ: 筐体によって広がる同人ゲームの世界

《Game*Spark》
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