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【俺の電子遊戯】第13回 格ゲーブームが起こしたパラダイムシフト

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    73年生まれ。インベーダーが日本中を侵略した頃、小学生だった筆者の目に映ったビデオゲームは間違いなく「未来へのパスポート」だった。その魅力に取り憑かれ、気づけば不惑の40代となったオッサンが、ビデオゲームと共に過ごした30年を語る連載。前回の記事はこちら

GUNS N'ROSESにあこがれて無職

上京して2度目の春を迎えるころ、私は通っていた音楽の専門学校を辞め、新聞専売所も退所することになった。ミュージシャンになりたいと上京したものの、ろくに音楽活動ができなかった1年目。やっていたことといえば、奨学金を得るための新聞専売所で、朝夕刊の配達、集金や営業の仕事とゲーセン、パチンコ、錦糸町の場外馬券場通い。コレではダメだと、ようやく動き出したバンド活動に専念すると決意し、退路を断つことにした。東京ドームでGUNS N'ROSESのライブを観て「ロックはやっぱすげぇよ!」と何かプランがあるわけでもないのに思い込みと勢いだけで決断したのであった。

アルバイトでなんとなく生計を立てようと思っていた私は、結局しばらく無職のまま、住まいは国分寺にある彼女の部屋に転がり込むことになった。日中はアルバイト探しと、近所のゲームセンター、パチンコ通い、週2回のバンド練習、土日は府中か立川で競馬。という生活をふた月ぐらい過ごしたあと、近所のコンビニで深夜のアルバイトを見つけ、働くことになる。しかし最初からシフトに沢山入れるわけでもなく、しばらくは週3日ほどしか入れず、自由な時間が有り余っていた。

Here Comes A New Challenger!

いつもの様にゲームセンターで『ストリートファイターII』をプレイしていたら、小学生ぐらいであろうか? こどもがいきなりコインを入れ乱入をしてきた。キャラクターはガイルを選択。波動拳コマンドすら対戦ではミスをしてしまうほど、対戦慣れをしていない私のリュウ。嫌な予感はしたが、近接でのサマーソルトキック、離れてのソニックブームと対戦相手のこどもの動きには隙がなかった。私は何も出来ずあっさり2本取られて席を立つことになった。

「私のやってきたビデオゲームとは何だったんだ?」大げさだが脳裏にそんな思いがよぎる。100円を入れて、その世界観に浸り、攻略して、エンドレスにプレイ、もしくはエンディングを目指す。相手はゲームを作った製作者との対決。しかし『ストII』は違った、人が相手なのだ。私の100円をとなりに座ったヤツの100円と賭けての勝負だ。そんな勝負を当時の私は求めていなかった。ゲームセンターに訪れたパラダイムシフト、血で血を洗うワンコインを賭けた死闘に入っていくメンタリティは当時の私にはなかった。ゲームセンターで爆発的に流行する『ストリートファイターII』と対戦格闘ゲーム。毎日のように通っていたゲーセン通いもこの日を境に週に2、3日ほど、新作ゲームのチェックや『テトリス』やクイズゲームなどをプレイする消極的な状態になってしまった。

スーパーファミコン版で特訓だ!


1992年6月、対戦格闘という壁にぶつかった私に救いの手が伸びる。スーパーファミコンに『ストリートファイターII』が移植されたのだ。家庭用なら思う存分練習はできる! そう思い部屋で『ストII』の練習を開始。キャラクターの扱いにも慣れ、友達どうしでの対戦でもそこそこ勝率が上がるようになってきた。だが、ゲームセンターでは相変わらず勝率は上がらなかった。どこかにある苦手意識が払拭されず、積極的に対戦を行う気分でなかったというのもあるが。そんな私の気分とは裏腹に、ゲームセンターでは筐体を背中合わせに2台置いたいわゆる対面台が増え、気軽に対戦が出来る雰囲気となり、『ストリートファイターII』も対戦を軸として調整された『ストリートファイターIIダッシュ』年末には『ストリートファイターIIダッシュターボ』と続々新作が稼動しゲームセンターはにぎわいを見せるのであった。

レトロゲームへの望郷

ゲームセンターで対戦格闘ゲームが流行るにつれ、私にとってビデオゲーム体験の原点であった80年代のゲームセンターが恋しくなってくる。そのような思いは他の人も思っていたのか、この時期にレトロゲーム専門のゲームセンターが東京浅草に開店したのだ。雑誌、ファミコン通信で知ったその情報には、硬派なゲーマーのアイコンだったライター、渋谷洋一氏が店長を務めているとのことだった。私は早速「ゲーム博物館」と名付けられたゲームセンターを訪れた。私の知らないゲームセンターあらし時代のアーケードゲーム『ミサイルコマンダー』や『ドラキュラハンター』、地元では稼動していなかったナムコの名作『リブルラブル』などが稼動しており、少年時代にタイムスリップした感じで夢中になってそれらのゲームを楽しんだ。それと同時に当時は忘れられる一方だったビデオゲームに対し、こうやって愛着を持っている人が居ることになんだか嬉しくなったことを覚えている。

競馬とゲームのミラクルな融合


ゲーム雑誌を読んでいたら「競馬の育成シミュレーションゲームが面白い!」と『ダービースタリオン』を紹介する記事に目がとまる。天才ジョッキー武豊、アイドルホースのオグリキャップ。バブル時代に起こった競馬ブーム、新聞専売所時代に知り合ったオールドスクールなドロドロ競売オヤジや詩人・寺山修司氏、週刊プロレス編集長(当時)ターザン山本氏の影響もあり、私も競馬は大好きだった。ゲームの製作者、薗部博之氏は『ベストプレープロ野球』の作者として私の好きな制作者だったので、すぐにファミコンと『ダービースタリオン・全国版』を購入してプレイした。配合の妙や調教方法で強い馬を作り上げた時の喜び、スピード感あふれるレース実況画面。私の中ではもう終わったと思っていたファミコンが再び輝いた時であった。グラフィックがチープでも面白いアイディアでゲームは作れるものなんだなぁと、製作者のセンスに感心した。当時のゲーム情報元は雑誌、攻略本が中心だった。『ダービースタリオン』には成沢大輔氏が手がける「ダービースタリオンを一生遊ぶ本」を片手に、最強馬を作るべくプレイしていた。

『マリオカート』タイムアタックに捧げる!


その他この時期にドップリハマったゲームと言えば、スーパーファミコンの『スーパーマリオカート』だ。バイトとバンドの練習以外では睡眠時間も削る勢いで部屋でひたすらマリオサーキットのタイムアタックを繰り返す。ゲームをプレイする友人があまり周りにいなかったこの時期、『マリオカート』の面白さである対人戦には構わずに、雑誌に掲載されていた最速タイムに近づくべくギリギリに攻める。重量級キャラ最速、LRボタンを使ってのドリフト、ロケットスタート、ショートカットの発見、プレイするたびに縮まるタイム。1分少々のために何度も集中してプレイするのが気持ちよかった。クッパではじめて1分の壁を切った時のやりきった感じは、この興奮を味わえるゲーム好きでよかったと、心からそう思った。

一方バンド活動は、マイナーなライブハウスとはいえ月1のレギュラー出演を確保し、活動をしていた。しかしライブ動員もライブハウスに依存している状態なので中々増えず、リハーサル終了後に手書きのチラシを作って駅前で呼び込みをしてみたり、ライブでアンケートを取ってDMを発送したりと試行錯誤を繰り返しながら、いつかはドームでライブだ! とライブの打ち上げでビール片手に夢を語る日々であった。


記事提供元: Game*Spark
《Game*Spark》

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