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【JRPGの行方】第2回 モラトリアムの延長とタナトスの失効

その他 全般



◆RPGにおける「モラトリアム」

モラトリアム【moratorium】「知的・肉体的には一人前に達していながら,なお社会人としての義務と責任の遂行を猶予されている期間。また,そうした心理状態にとどまっている期間。」(デジタル大辞林)


日本のRPGにおいて、メインディッシュとなる物語は「感動」というキーワードをたずさえて、泣けるエンディング、豪華声優、すごいCGといった要素を盛り込みながら、演出面でピークを迎えていきます。

そこでもうひとつ、RPGがとり入れていったのがサイドメニューの充実でした。


「ここから先はもう戻れないぞ!」
「どうだ? 準備はできたか?」
「 はい →いいえ」


みなさんは物語が終盤になって、こうしたやりとりに遭遇した経験はないでしょうか。往々にして我々は、ここからやり残したコンテンツに取りかかることになります。隠された武器を探したり、動物レースに夢中になったり、闘技場に通いつめたり、人助けをしたり……。世界の崩壊の際にあるか、あるいは主人公が切迫した状況にある物語の終局において、どちらかといえば優先順位の低い事項にもかかわらず。

ここでモラトリアムを思い出してみます。しばしばビルドゥングスロマンの要素(主人公の成長を描く物語)を持つ日本のRPGにおいて、この物語終盤の自由時間は「ラスボスを倒す(=物語を終わらせる)強さに達していながら,なお主人公としての義務と責任の遂行を猶予されている期間」、つまりRPGにおけるモラトリアム期間といえないでしょうか。

◆ゲームを「終わらせる」欲望

日本のRPGほど、明確な終わりがあるジャンルもありません。長大なラストダンジョン、強大なラスボス、壮大なエンディング、そして感動のスタッフロールに至るまで、プレイヤーがゲームを「終わらせる」ことの動機づけが積極的に行われてきました。この「終わらせる」というのは単純にエンディングを見ることではなく、そのゲームそのものからプレイヤーが離れることを意味します。

RPGの終わりがしばしば「カタルシス」という言葉で表現されるのは、それが浄化であると同様に排泄の心地よさであるからなのです。ラスボスを倒し、スタッフロールを見て、“fin”などのワードを確認して、「ああ~終わった~!」といって背伸びし、このゲームとサヨナラする。この「開放感」こそが、RPGの魅力のひとつなのです!

RPGにおいて「終わらせる」ということは、プレイヤーの死を意味します。ゲーム中の主人公がエンディングでどうなろうが、プレイヤーはそこから一切介入できません(例外もありますが)。エンディングを迎えて、もう一度タイトル画面に戻ったとき、プレイヤーはすでに死んでいるのです。


>デストルドー(英語: destrudoまたはdeath drive、ドイツ語: Todestrieb (トーデストリープ))とは、ジークムント・フロイトの提唱した精神分析学用語で、死へ向かおうとする欲動のこと。タナトス(英語: Thanatos)もほぼ同義で、死の神であるタナトスの神話に由来する。(Wikipedia)


こと日本のRPGにおいて、「物語を終わらせたい=プレイヤーとして死を迎えたい」という欲望を喚起するために「感動」が用いられてきました。誰もがそこにたどり着くことができ、多くの人に受け入れられる「優しさ」をもったままに。感動のエンディングと同時にプレイヤーとしても終わりを迎える、つまりカタルシスを得つつタナトスを満たすことで、プレイヤーはそのゲームから真に解放されるのです。

「なにを言ってるんだ。俺はいったんエンディングを見てから、やり込み要素にとりかかるよ」という人もいるでしょう。そういった場合、エンディングを迎えたはいいものの、タナトスが満たされない状況(物語は終わってもプレイヤーが終わってない状況)になり、かえってエンディング=物語の頂点は魅力を損なってしまいます。ラスボスと対峙しつつ、やり残したことを頭の中でリストアップしてはいませんか?

◆モラトリアムの延長とタナトスの失効

演出重視の語りが爛熟していくなかで「モラトリアム期間」はできました。RPGにおいてプレイヤーは、タナトスとモラトリアムの狭間で、「終わらせたい、けど終わらせたくない」というアンビバレンツを抱えてプレイしていくことになっていきました。

サイドメニューが充実していくほどに、モラトリアム期間は延長されていきます。主人公として物語を終わらせるという責任を遂行することなく、だらだらと過ぎていく時間。いつまでも待ってくれているラスボスは、強くなりすぎた主人公にあっけなく倒され、クライマックスを迎える感動の演出とは裏腹に、プレイヤーは手応えを得ることなく物語を終わらせてしまう……。

長過ぎるモラトリアム期間は、物語と主人公の間にギャップをもたらし、結果として「終わらせる」行為の心地よさを逓減させていったのです。

さらに厄介なのが、モラトリアム期間において、プレイヤーがしばしばゲーム世界のルールを上回る力を得ることです。例えば「世界を崩壊させるラスボス…よりも強い隠しボス」「限界突破という名のルール破り」「あまりに強すぎる隠し武器」「ゲームの数値的な能力の限界」などなど。

ゲームの「データベース」に触れたプレイヤーは、その世界の神の領域に侵入したともいえます。そうしたプレイヤーにとって、弱すぎるラスボスを含め、データベースの一部に過ぎない「物語」が瑣末なものに見えるのは、仕方がないかもしれません。また、これは日本のRPGの特徴でもある、「主人公たちのために世界がある」という世界観も影響しているかもしれませんが、これについてはいずれ。

◆物語は「コンテンツ」のひとつに

ここで挙げたのは一般的なRPGですが、例えば「マルチエンディング」の場合はどうか? マルチエンディングはそれぞれゲームの主人公にとってはエンディングですが、プレイヤーにとってエンディング(物語の終わり)ではありません。それぞれのエンディングは物語を消費しているにすぎず、結局は真エンディングだけがプレイヤーにとっての終わりとなります。全てのエンディングを見ないでやめた場合、プレイヤーは亡霊のようにゲームに留まり続け、そこにタナトスもカタルシスもないでしょう。

それでは「強くてニューゲーム」はどうか? (周回プレイが前提となるマルチエンディングと重複する部分もありますが)そこでは、強すぎるキャラクターたちの前で物語は力を失っており、プレイヤーはゲームバランスという名の神の領域をはじめから侵しています。その超越感が個人的には好きなのですが。

海外のRPG、たとえばスカイリムはどうか? 根本から異なるため比較は難しいですが、主の物語と副の物語が混在するのが魅力である作品であり、終わらせることに力点は置かれていません。いちおうのラスボスを倒しても、たいして盛り上がらない状況下で、プレイヤー=主人公は、自身の存在と自身の物語が、この大きな世界の中ではちっぽけなものだと感じるでしょう。海外RPGとの比較は、別の機会があればまたしてみたいと思います。

モラトリアムやタナトスやカタルシスやデータベースといった、いかにもなキーワードを引っぱりだして書きましたが、要は「副菜が多すぎると主菜が美味しくない」。……余計に分かりにくいかもしれません。

こうして、RPGにおいてとりわけ重要だった「物語」は、いつしか「コンテンツ」のひとつに格下げされていきます。それは現在において、とくに「RPG」を冠したソーシャルゲームにおいても見られる傾向かもしれません。

記事提供元: Game*Spark
《Game*Spark》

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