人生にゲームをプラスするメディア

産学官連携からゲームアーカイブまで レベルファイブ・サイバーコネクトツー・ガンバリオンと、DiGRA JAPANの特別対談

ゲームビジネス その他

対談は基調講演の内容を掘り下げる形で行われた
  • 対談は基調講演の内容を掘り下げる形で行われた
  • 左からガンバリオン山倉: 千賀子氏、レベルファイブ日野晃博氏、サイバーコネクトツー松山洋氏
  • DiGRA JAPAN会長で立命館大学の細井浩一氏
DiGRA JAPAN年次大会では福岡ゲーム産業振興機構の協力のもと、レベルファイブ日野晃博氏・サイバーコネクトツー松山洋氏・ガンバリオン山倉千賀子氏による基調講演が行われました。続いて福岡ゲームコンテスト授賞式も開催され、年次大会参加者が見守る中で、クリエイターの卵たちによる優れた作品が表彰されました。終了後、DiGRA JAPAN会長の細井浩一氏(立命館大学)もまじえて、特別対談が行われました。

■福岡の産学官連携、成功の秘訣は「熱い人」の存在?

―――DiGRA JAPAN基調講演ならびに福岡ゲームコンテスト授賞式おつかれさまでした。DiGRA JAPAN会長として、どのように感じられましたか?

細井: 正直な話、口をあんぐりあけて、びっくりしながら見ていました。今年でコンテストとしても6回目になりますよね。産官学でぎゅっとコンパクトにまとまられて、人材発掘や育成事業など、さまざまな取り組みをされています。DiGRA JAPANがめざしていることが、すでに実現されていて、驚きました。

松山: 年次大会で授賞式をしたのは今回が初めてです。これまでは福岡ゲーム産業振興機構で3月に開催しているイベントの一環として、開催してきました。今回DiGRA JAPANと並列で開催して、全国から参加された大学の研究者や学生の方に、我々の活動を見ていただけたのは良い機会でした。

細井: おっしゃるとおりで、私もこうした活動を耳にはしていましたが、これまでは直接お伺いする立場ではありませんでした。それが今回、初めて見させていただいて、びっくりしたんです。私たちも同じような取り組みを行っていますが・・・。

―――京都ではどのような取り組みが行われていますか?

細井: 京都は太秦・映画村で時代劇を撮り続けてきた伝統がありますし、近年ではゲーム・マンガ・アニメの街でもあります。そのため、これらをまとめた「京都クロスメディアエクスペリエンス」というイベントが行われています。京都商工会議所・京都府・京都市で事務局を作られて、私も委員としてご協力しています。2009年には任天堂さんにもご協力いただき、東映京都撮影所でゲームのイベントなどを行っていただきました。

ただ、それと今日見させていていただいたのとは、また話が違うと思うんです。京都は地域性からか、街全体がふんわりと動く感じなんですよ。それが福岡では、もっと地域がぎゅっと固まって、産官学がそれぞれの立場で、やるべきことをされている。コンテストという作品力の勝負みたいなこともされて、それに対して評価をきちんと与えて、次につなげるという場を作られているじゃないですか。これは残念ながら、我々にはできていないですし、他でも見たことがないです。

松山: タイミングやビジョンもあると思います。2003年にイベント「GAME FACTORY FUKUOKA」を行って10年になりますが、当時は三社とも今よりずっと小さい会社でした。圧倒的な決裁権を持っている中小企業のトップが集まって始めたので、機動力も早かったし、実行力があった。そういう人間が今も変わらない思いで続けているのが、たぶん珍しいんだと思います。

細井: ポイントはそこですかね。

松山 これが上場企業になると、誰がその決裁権をもって判断するかって、なかなか難しいじゃないですか。

―――僕らからするとレベルファイブさんは、当時からとても中小企業とは思えませんでしたが、やはり小回りがきく良さというのはありましたか?

日野 そうですね、弊社は現在300名くらいの規模になっていますが、小回りがきくという点では、いまだにそうだと思っています。僕を含めた、本当に会社を動かす意思がある何人かのメンバーで、今日会議で決めたことを明日実行する、なんてことができますから。会社が大きくなればなるほど、稟議を通すのに時間がかかりますし、株主に対する説明責任も発生して・・・となりますよね。

―――逆に中小企業の中には、そんなに大風呂敷を広げても、できるわけないよね、と考えてしまいがちな企業もありますが、そういう思いはありませんでしたか?

山倉: それはまったく思っていませんでした。誰もちらりとも言いませんでしたね。

日野: むしろ、その後の心配をしていたくらいですよ。行政にお金を出してもらったら、かえっていろいろと大変かもね、みたいな。

細井: 似たような取り組みは東北でもアニメーション分野であって、地場産業の方々を中心に、産学官連携をされています。ただ震災の問題もありますが、それを差し引いても、何かもう一つ、スッキリいかないんですね。関西も同じような状況で、個別にはいろんなことが動いているんですが、関係者が一つの思いを共有する場が作れるかというと、なかなかそうではない。僕の見る限り東京はまったくないですよね。福岡だけなんです。

松山: みなバラバラですよね。プロデューサーがいないからです。

細井: 人材発掘や育成事業で、一番活発に反応されるのは、専門学校さんですか?

松山: そんなことありませんよ。専門学校・大学・中途、みな並列ですね。

日野: どちらかというと、大学の方がより積極的で、いろんなアクセスがあります。

細井: そのへんも地域差なんでしょうか。DiGRA JAPANは全国的な学会組織ですが、関西と中部で地域別の取り組みがあります。関西では立命館大学が中心になって研究会を発足していて、近く支部になるかと思います。中部では専門学校さんが中心で、いろいろとアクティブに動かれています。

日野: ポイントは「人」ではないでしょうか。各地方で誰か「熱い人」がいると、それでやっぱり動かされますからね。東京で以前、デジタルエンタテインメントアカデミーという専門学校がありましたが、その就職担当の方が熱くて、ぐいぐい来られる方だったんですよ。そうしたエネルギーのある人がいると、まわりの人たちが一緒になって動きますから。中部には専門学校の中に、そうした熱い人がいらっしゃるんだと思います。

細井: 逆に九州にはどんな人がいますか?

日野: 九州大学の源田先生(DiGRA JAPAN2012年次大会実行委員長)や、松隈先生(九州大学シリアスゲームプロジェクト代表)など、いろいろ熱い方が多いです。

細井: 我々からすると、ゲーム業界の人はいつも忙しいので、お声がけすると逆に悪いんじゃないかと、壁を感じるところもあります。

日野: 僕らも大学に対して同じような壁は感じますよ。大学は研究したり、学問を教えるところですよね。でも、僕らは利益をあげて、ビジネスをきちんと成立させる必要がある。何か頼み事をするときも、それが前提になります。それが「週末は動けません」といわれても、「いやいや、この二日が大事なんです」となったり。

―――ただ、そういう中で今回は良い機会になりましたね。

細井: まったくそうですね。

■若手から大御所まで世代を超えて集まった授与式の意義

―――基調講演・授与式と参加されて、感想をお聞かせください。

松山: 基調講演はもともと遠藤雅伸さん(DiGRA JAPAN理事・宮城大学客員教授)からのご提案で参加させていただきました。あらためて過去10年間の活動を振り返ると、他の地域でも同じような取り組みがあったと思いますが、結果的に我々だけが残ったのかなと思います。これは私の意見ですが、結局「我々がいるか、いないか」の差でしかないと。京都にも東京にも我々はいないので。それ以外の理由は、たぶんないと思います。

山倉: かっこいー(笑)。

松山: またゲームコンテストについては、今回たまたま機会をいただいて、全国の大学の方々に直接、知っていただけてよかったですね。また、去年と今年では段違いにレベルが上がったんですよ。実は大賞を授与できたのも、今回が実質的に初めてだったんです。だからタイミングが良かったですね。

日野: ああ、そういえばそうですね。それは強調すればよかった。

松山: また開発チームが10人を越えた「大作」だったことや、授与式で涙ながらにコメントを語ってくれたことも初めてでした。ああいう人間にモノを作って欲しいなと我々も思いますし、我々がこれまで行ってきた積み重ねの結果が出たのかなと。

―――すみません、松山さんが全部話された気もしますが・・・

松山: ンなことはない! ンなことはない!

日野: 僕は松山さんが言わなかったことを言わなければならないので辛いですが・・・

山倉: いつものことです(笑)

松山: なんでだよー!

日野: えーっと、初めはどんな人が見に来てくれるのかなと思っていたんです。そうしたら、長くこの業界でゲームを作られてきた、大御所の方々に参加いただけたのが嬉しかったですね。皆さん昔ゲームクリエイターとして、僕らが夢中になって遊んだゲームを作られてきて、今では大学で新しいクリエイターを生みだそうとしている。そんな方々が遠くから福岡に集まってきてくれて、僕らの話を聞いてくれている。みんな本気で若いゲームクリエイターを育てよう、そのためにちょっとでも何か得られるものがあれば。そんな思いが伝わってきました。

そんなふうに僕らがコンテストを通してやってきたことが、若い世代にも、上の世代にも、何か良い影響を及ぼしているんだとしたら、すごく嬉しいですし。単純にそうした方々に集まっていただけて、すごいなと思いました。

―――遠藤さんは「若いっていいなあ」と言われていました。

細井: 僕もまったく同じことを言っていました。

山倉: 私はラストなので、あまり言うこともありませんが、昔はゲーム作りを仕事にしているといったら、親御さんたちに反対されました。なんて不安定な業界に入るの、ゲームなにそれ? といった時代だったんですね。それから考えると、学会ができて、大学でゲームの話ができて、学問になって、やっとゲームがまっとうな産業として扱われるようになってきました。これが今後は文化として確立していくのかなと。そうした大きな流れの中に自分たちがいる。産官学の立ち上げに自分がかかわることができて、今ここにいる。とても幸せだなと思いました。

細井: 先ほどもありましたが、授与式では少し泣いておられる方もいましたね。

山倉: 私も泣けましたね。いろんなものが重なりました。自分たちも、いろいろゲームを作っていて辛いこともありましたし、ホントにいろんなことと。

細井: 産官学の取り組みでいえば、国際性についても重要だなと感じています。実はこの3年くらい学会の活動が盛んになったことで、2011年に立命館大学でゲーム研究センターが設置されました。もっとも、うちの大学の教員からある時「ゲームセンターをつくったんだって?」と言われたこともありますが・・・。

山倉: ゲームセンターとゲーム研究センターは全然・・・

細井: ええ、まったく違いますと、改めて説明しました。

ただ、それを作ったとたんに、海外から問い合わせが続きまして、設置後に4名の外国人研究院が籍をおいています。そのうちの一人にハンガリーの研究者がいて、ハンガリー語で書かれた、ほとんど唯一のゲーム文化に関する書籍を見せてもらいました。何が書いてあるか、さっぱりわからないんですが、ざっと見ると1980年代後半に日本のゲームが入ってきて、子供たちが熱狂して、青春時代をすごしたということが書かれています。同じような体験をした人が世界中にはいっぱいいて、日本のゲーム史や考え方などを学びたいという人もかなりいるんです。ただ、日本人はそういう思いに対して、どのように答えたら良いか、よくわかっていないのも事実だと思うんです。

だから、若いクリエイターを育てることも大事ですし、日本のゲームを遊んでファンになってくれた海外の人に対して、我々は何を情報として返していけるんだろうかと。それがこの学会の使命でもあると思うし、それには産官学で取り組んでいく必要があると思うんです。でも、今はまだとてもとても、授与式のような雰囲気を作れるようなところまで、到達できていないと思うんですが。

日野: 海外との結び付きについては、基調講演でも議論がありました。

細井: ただ、学会の会員数は伸びているんですよ。これまでも「ゲーム」に関連する学会は幾つかありましたが、商用ゲームやデジタルゲームは基本的に傍流の場合が多い状況でした。そうした学会で研究されていた方々が、いまDiGRA JAPANにも加入いただいています。それだけ学会が成長しているんですが、にもかかわらず、そういった産学連携の良い形を実現できていないというのが、今の状況です。

―――でも、地域ごとにいろんな特性がありますよね。福岡にも、京都にも。それぞれにあった形があります。

細井: その通りだと思います。それで、なぜ福岡が先行しているのか、もうちょっと研究させていただかないと。これからも足を運ばさせてください。

■福岡ゲーム産業はどのように発展してきたか?

―――ちょっと話を福岡のゲーム産業史について戻させていただくと、地方におけるゲーム産業クラスターとして、福岡と札幌はおもしろい比較対象になりそうです。キーワードはファミコンへの参入時期で、ハドソンさんはサードパーティ第一号として1984年に参入され、一気にコンシューマに舵を切られました。

日野: そうですね。当時は歴史SLGの光栄さんは別格として、スクウェア、エニックス、日本ファルコム、システムソフトが4大パソコンゲームメーカーと言われていました(社名は当時のもの)。そのうちシステムソフトと日本ファルコムはパソコンゲームの高品質なモノづくりを続け、自社のお客さんを大切にされていました。これに対してスクウェアとエニックスはすぐにファミコンでの開発に取りかかり、新しい市場の開拓に進まれました。その後のゲーム業界が大きく変わっていく、分岐点だったと思います。

―――それもあって、福岡のゲーム産業はパソコンゲームの助走期間を経て、PSで花開いた印象を受けますが、いかがでしょうか?

松山: 弊社については、そうだと思います。ただ日野さんは違いますよね。

日野: 僕はずっと福岡でゲームを作っていて、あるタイミングで独立したというだけなので、PSだったとか、PS2だったとかは、あんまり感じていません。現にレベルファイブのデビュー作『ダーククラウド』はPS2でしたから。

―――ああ、そうでしたね。

日野: もちろん、独立前もPSや3DOのゲームを作っていましたが、ハードはそんなには関係ないんじゃないか・・・とは思います。ただ自由度がPSになって広がったのは確かです。SFCまではゲーム作りにおいて、ある種の専門知識が求められていましたが、PS以降はもっと一般的な知識でゲームが作れるようになりました。

―――SFCまでは組み込み器機のプログラミングに近くて、マニュアルもない、開発ツールもないような時代もありました。それがC言語で作れるようになり、ライブラリもある程度そろいました。

日野: それもありますし、お客さんも変わったと思うんですよ。PSが一般のお客さんを開拓したおかげで、『パラッパラッパー』みたいなゲームを作って、ちゃんとヒットするようになった。これによって、ゲーム業界の全体的な幅が一時的にものすごく広がりましたよね。そういう意味ではハードの影響はあるのかもしれませんが、個人的にはそんなにハードを意識はしていませんでした。

―――山倉さんは?

山倉: ガンバリオンの創業メンバー9人はテクノソフトにいたスタッフです。同社はもともとパソコンゲームのメーカーだったので、確実にパソコンのモノづくりの血が息づいています。起業して福岡に移転した頃は、すでに時代はPS2になっていました。でも、私たちはゲームの企画にあわせて、あえて最初はPS1を選択したんです。普通はハードを決めてから、それにあわせてゲームの企画を考えますよね。しかし、私たちはそれとは反対のことをしましたし、これは今でも同じです。そういうこと一つをとっても、他のコンソール出身の会社とは、異質なモノづくりをしているのではないかと思うことがあります。

―――当時はSFCで慣れた会社さんが、PSに移行する際に苦労された話をよく耳にしましたが、パソコンゲームの開発ノウハウがPSに適した点はありましたか?

山倉: 当時、会社の方ではSFCも触っていましたが、確かにそれはあったと思います。

―――もう一つ。いまゲーム業界の産業規模が大きくなるにつれて、スタジオの淘汰再編が進んでいます。その結果、世界規模で大手スタジオが減少する一方で、海外ではインディーズ、日本でもモバイルソーシャルといった、新しいムーブメントがおきています。これが業界全体の活性化にもつながっていますが、福岡ではいかがでしょうか? たとえばGFFの加盟社数だけを見ると、数は横ばいで、コンソール中心という印象も受けます。

松山: もちろん、福岡で新しい人の数は増えていますよ。文字通り最近はソーシャルの会社さんが増えています。ただ皆さんが皆さん、GFFに加盟して一緒にやっていきましょう、というわけではありません。そこは会社によって、それぞれでいいと思います。一方でデジタルハーツさんやポールトゥウィンさんのように、コンテンツを作っているわけではありませんが、何か一緒に業界を盛り上げられるんじゃないかと、大きな視点でアプローチしてくれる企業さんもあります。GFFにそうした企業が増えているのは嬉しいですし、我々の努力のたまものかなとも思います。

■ゲームアーカイブと企業の連携

―――最後に細井先生の方から、ご質問はございますか?

細井: はい、いろいろあるんですが、一つだけ。立命館大学では1998年からゲーム保存の活動を進めてきました。昨年度から文化庁の「メディア芸術デジタルアーカイブ事業」にも組み込まれて、さらに活動を進めています。もっとも、これはとても難しい仕事です。アメリカではスタンフォード大学が先行していますし、イギリスでは国立ゲームアーカイブが存在するので、そこからネットワークを広げて、国際的な取り組みに繋げていくことを進めています。そこでお聞きしたいんですが、ゲーム開発の資料は、どの程度保管されているものでしょうか?

松山: 正直にいって、やれる範囲でやっています。ただ「資料を保存するためだけに何かをする」といったことは一切していないです。

日野: 僕らも紙レベルでは残していないですね。たとえばグラフィックにしても、10年以上前からタブレットで描いているんです。もちろん、原画を紙で書くことは、個人レベルではありますが・・・。

山倉: 弊社では作品単位で、企画書や仕様書まで保管しています。データは、ハードディスクに複数保存しておき、何かあっても大丈夫な形にしています。もっとも、物理的にスペースの余裕がどんどんなくなってきています。

細井: ありがとうございます。今後メタデータを中心としたデータベース構築に加えて、作品のうち幾つかを選定して、仕様書や販促資料など関連情報もまとめて保存するモデルアーカイブも薦めていく予定です。息の長い取り組みになると思いますし、改めて何かお願いすることがあるかもしれませんが、ぜひよろしくお願い申し上げます。

日野・松山・山倉: よろしくお願いします。

―――本日は長時間ありがとうございました
《小野憲史》

編集部おすすめの記事

特集

ゲームビジネス アクセスランキング

  1. 「攻殻機動隊」VRアプリが配信スタート  サイバー感溢れる映像が360度で展開

    「攻殻機動隊」VRアプリが配信スタート サイバー感溢れる映像が360度で展開

  2. 【特集】『東方Project』商業・海外展開の裏側、その背景には時代の変化が

    【特集】『東方Project』商業・海外展開の裏側、その背景には時代の変化が

  3. 【GDC 2009】面白いタイトルをしっかり売るには!? レベルファイブのプロデュース術を日野社長が大公開

    【GDC 2009】面白いタイトルをしっかり売るには!? レベルファイブのプロデュース術を日野社長が大公開

  4. 【インタビュー】「E3」主催ESA代表が語る今年の「E3」とゲーム業界…展示会でもありエコシステム

  5. 話題のホラーゲーム『Year Of The Ladybug』開発中止

  6. 【レポート】VRロボゲー『アーガイルシフト』のロマンと没入感が凄い!男の子の夢、これで叶います

  7. 【GDC 2015】App StoreやGoogle Playでフィーチャーされる秘訣は「ビックマック」にあり!?

  8. 劇場版「SAO」のアスナとVRで会える! 視線追跡型VRヘッドセット「FOVE」が新たな刺激を提案

  9. 【CEDEC 2013】勝つべくして勝つ企画書を作る方法を伝授!アシスタントからディレクターになるために

  10. 【特集】『オーバーウォッチ』日本語版はこうして生まれた…スクウェア・エニックス 西尾勇輝氏に聞く「ゲームローカライズ」とは

アクセスランキングをもっと見る