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「日本のRPGには自由度がなくアクションアドベンチャーと変わらない」 ― 海外メディアの指摘

2010年8月22日(日) 22時31分

海外メディアはJRPGに対し厳しい指摘を行います。

海外メディアKombo.comのエディトリアルディレクターであるEric Frederiksen氏とコントリビューターJoel Windels氏はJRPG(和製RPG)に関する記事を発表しています。

「ゲームの技術が発達することにより、見下ろし型のレースゲームやガンシューティングといったジャンルはゆっくりと時代遅れのものになりつつある。それでもゲーム産業人としての我々は、現代のゲームを記述するのに古風の用語に執着する。これは我々を“RPGとはなにか”という疑問へと導く。同じゲームの西洋と東洋のバージョンはなぜここまで違ってしまったのだろうか」

「『Elite』のような作品が、コンピューターRPGのもっともピュアな形となる。あなたは商人、海賊、賞金稼ぎなどのロール(役割)をプレイする(演じる)ことができる。構造化された物語がなくとも、プレイヤーはゲーム界という遊び場の中で自分たち自身のフィクションを作るよう誘われる。
MMORPGも同じ流れ上のコンセプトにあり、アバターのコントロールや外観、アクションなどに大きな自由を許す。私は西洋のRPGのほとんどもここに分類されると思う。『Planescape』『Fable』『Mass Effect』はプレイヤーが選択に基づくアクションを起こすと、それに対応して特別仕立ての経験を作り出す。『レッド・デッド・リデンプション』ではプレイヤーは主人公をハンターにも商人にもくそったれにも聖者にもできるが、ゲームを進めて新しいエリアにアクセスするためにはメインミッションに関わらなければならない。ある程度の表面的な選択と「ロールプレイ」があるが、あなたは重要な部分を変えることができない。プレイヤーはキャラクターを解釈するのに他者との違いを見る。従って『レッド・デッド・リデンプション』はRPGではなくほかの何かだ」

そして、「ファンタジーが舞台でターン制の戦闘があるようなRPG(多くがJRPGと分類される)のごく一部にしか「ロールプレイ」の要素がない」と指摘します。

「カットシーンはプレイヤーの入力なしで起こり、プレイヤーは台詞を少しコントロールする。プレイヤーは単にキャラクターが必然的に進行するために存在し、結果としてプレイヤーのそれぞれは似たような経験をする。ゲームはコントロール可能なキャラクターのプレゼンテーションであり教訓的なものになる。『ペルソナ』シリーズはこの傾向に逆らう少数派のうちの一つだ。プレイヤーがキャラクターとどのように関わるか選択することを許し、彼らの関係がゲームプレイと物語の重要な部分を作る」

Eric Frederiksen氏は自分がJRPGのファンであると前置きした上で以下のように語ります。「彼らはすさまじい戦いとダンジョンの放浪を注意深く組み立てて物語を作る。キャラクターと話すことは付帯的であり、多くは「はい」と「もう一度話してもらえませんか?」を決定することだ。

バトルシステムはゲームごとに変化するが、キャラクターの能力、ルックス、他のキャラクターとの相互関係に関してはほとんど自由が提供されない。私はこれらを「シネマティック・ターン制・ナンセンスゲーム」と称することを始めたくなってくる。・・・むしろナンセンスというよりはコンバットか」

「基本的にJRPGには誤ったラベルがつけられている。本質的には多くのアクションアドベンチャーと変わらない」

様々な意味での自由度がなければRPGとはいえない・・・というのが著者たちの主張。RPGへの要求がかなりハイレベルであることが分かります。

例に挙げられた『Mass Effect』を作っているbiowareが「いま超大作を作るのは間違っている」と発言しているのも興味深いところ。ハイレベルな自由度を持った西洋RPGとなれば超大作にならざるを得ない状況。いずれはこのジャンルにも市場の淘汰が及ぶ可能性があるのかもしれません。

(Article written by 水口真)

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