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【CEDEC 2009】「主役は交代している」成熟したゲーム産業が目指すべきもの・・・原島博・東大名誉教授 基調講演

11年目を迎えた今年のCEDECの幕開けとなる初日の基調講演に登壇したのは、東京大学名誉教授の原島博氏です。

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【CEDEC 2009】「主役は交代している」成熟したゲーム産業が目指すべきもの・・・原島博・東大名誉教授 基調講演
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11年目を迎えた今年のCEDECの幕開けとなる初日の基調講演に登壇したのは、東京大学名誉教授の原島博氏です。

ゲーム業界では余り馴染みがないものの、東京大学のコンテンツ創造に関する教育プログラム代表、文化庁メディア芸術祭アート部門審査員、グッドデザイン賞審査員を務めるなどコンテンツに深い造詣の持ち主で、基調講演に相応しい、岐路に立つゲーム業界にとって示唆に富む内容となりました。


原島氏が最初に唱えたのは「ゲームは技術のしがらみから解放される必要がある」ということです。ゲームは技術依存で進化してきて、それは今後も続く、しかし―――。

生まれは1945年9月、ちょうど先の大戦が終わった翌月です。64年に18歳のときに東京大学に入学して以来、今年3月に定年を迎えるまで東京大学に在籍、コミュニケーション工学を専攻してきました。その原島氏の言葉には一段の重みがあります。また原島氏は顔にも大きな興味を寄せ、日本顔学会の代表も務めます。曰く「マスコミの取材を受けるのは必ず、"東大に顔を研究しているヘンな先生がいる"」という理由からのようです。

ゲームとの縁の始まりは1985年、ファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』だったそうです。息子にせがまれて買ったゲームを、寝静まった後にやってクリアして「親としての尊厳を勝ち取った」そうです。一方で、続編である『2』は余りにも難しくて「怒り狂った」とコメントして会場を笑わせていました。

また、アニメ「ポケットモンスター」で光の描写で倒れる子供が出た、いわゆる「ポケモン事件」では、当時の郵政省が立ち上げた「放送と視聴覚機能に関する検討会」の座長として対応策をとりまとめ、「原島さんちのお父さんがポケモンを再開させてくれた」という名誉を勝ち取ったそうです。

加えて、東京大学情報学環 コンテンツ創造科学 産学連携教育プログラムの代表として、岩谷徹氏、鈴木裕氏、遠藤雅伸氏らと人材育成に当たっているほか、科学技術振興機構(CREST)が取り組む「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」の統括を行っているということです。

ずっと東京大学に在籍専門はコミュニケーション工学顔学者でもある
よくわからない顔・・・ポケモン事件の際の責任者産学連携にも取り組む

■主役は交代している

原島氏が生まれた翌年、世界で最初の本格的なコンピューターと呼ばれる「ENIAC」が誕生しました。それから20年、64年に原島氏の大学入学に合わせるかのように、「IBM System/360」が誕生し、翌年には東大に大型計算機センターが開設されました。

60年代のコンピューターは「科学の情報化」を目的としたものでした。時代は流れ、70~80年代前半に巨人IBMが突き進んだのは「ビジネスの情報化」でした。Internation Business Machine、IBMり社名は正にそれを示したもので、日本はひたすら巨人を追いかけました。実は日本がIBMに追い月のではないかと思われたプロジェクトがありました。「第5世代コンピューター」です。歴史を紐解くと、このプロジェクトは失敗に終わり、アメリカはますますリードすることになります。それはなぜか。

「第5世代コンピューター」は非ノイマン型で、コンピューターの原点である「人間の脳を目指す」ということを突き進めたプロジェクトでした。しかし日本がそうした取り組みを行っている頃、コンピューターにはパラダイムシフトが起こっていました。それは大型コンピューターから、パーソナルコンピューターへという流れです。コンピューターは「脳を目指す」ことが求められるのではなく、「メディア」であり、「社会の基盤」であることが目指されたのです。つまり「主役が交代していた」のです。

科学の情報化ビジネスの情報化アメリカを追い抜く・・・はずであった

パーソナルコンピューターは自分のすぐそばにあり、個人秘書のような役割になります。1986年にCD-ROMの規格が定められると、映像や音楽が扱えるようになり、マルチメディア端末として一気にブームを巻き起こします。更に、ネットワークに接続することで、World-Wide-Web(WWW)という概念が生まれたのも80年代の後半で、95年にインターネットが商用利用できるようになると、コミュニティとしてのコンピューターの顔が強くなっていきます。

社会を目指すコンピューター80年代の動き

こうした時代に原島氏は、単に情報をやり取りするのではなく、付加価値のある通信が求められるようになったと言います。そうした時に原島氏が研究したのが「いい顔に映るテレビ電話」です。ありのままの顔を映すのではなく、予め用意しておいた「気に入った顔の写真」を、3Dモデルに張り付けて、今の感情(笑い、悲しみ、など)だけを通信して、モデルデータで表現するというものです。実用化はされなかったようですが、かなり先進的な取り組みと言えます。


話を戻すと、40年代に生まれたコンピューターは年々進化を遂げてきました。そして重要なのは「主役は交代する」ということです。ビジネスの情報化の時代の主役は言うまでも無くIBMでした。その牙城を崩すものは現れそうもありませんでした。しかしパーソナルコンピューターの時代に君臨したのは、OSで誰もがコンピューターを扱えることを可能にしたマイクロソフトでした。そしてネットワークの現代、主役の立場はあらゆる情報を検索可能にすることを掲げたグーグルです。決して崩れないと思われた巨人も主役の座を譲ってきているのです。


■ゲーム産業は成熟産業へ

さて、ここからはゲーム産業です。

ゲーム産業がコンピューターの発展と共に成長してきたことは疑いのない事実です。70年代に登場してきたマイクロプロセッサによりコンピューターの小型化が可能になり、最初のゲーム機が誕生しました(パーソナルコンピューターも同様です)。

初期の代表的なゲーム機としてはATARI2600(1977年)、ファミコン(1983年)といったものが挙げられます。そこからゲーム機は5年単位で最新のコンピューター技術を取り入れていきました。日本では、80年後半はファミコン、90年代前半はスーパーファミコン、90年代後半はプレステーションやNINTENDO 64といったゲーム機が登場し、その大きな進化はグラフィックの進化でした。2000年代に入るとネットワークというキーワードが注目され、ドリームキャストや『ファイナルファンタジーXI』というゲームが登場しました。2000年代後半はニンテンドーDS、PSPといったモバイルの時代です。これは極めてコンピューターの進化と一致しています。

ゲーム機の誕生進化の歴史さらに進化していく

原島氏は今後もこの傾向は変わらないとして、"未来を予測するのは過去を言うより難しい"としながら、今後の情報技術のキーワードとして以下の3つを挙げました。

・バーチャルからリアルへ
・グローバルからローカルへ
・パーソナルからコミュニティへ

それに合わせてゲームも、リアルとバーチャルを重ね合わせるような楽しみ方が出てくるのではないかと言います。バーチャルがネット上の仮想空間とすると、リアルは人が動きまわって活動する実空間です。それを対応させるのは、GPSであり、ユビキタスであり、ウェアラブルです。

また、インターフェイスも身体動作そのままのインターフェイスが登場してきている一方で、リアルとバーチャルを行き来するのであれば、単純化された人の活動を妨げないものが登場してくるのではないかと予測しました。両手10指(キーボード)、両手親指(ゲームコントローラー)、片手親指(携帯電話)という流れです。

未来予測リアルとバーチャルの重ね合わせインターフェイスも変わる

そして情報技術はこれからもゲームを進化させるだろうと原島氏はいいます。

しかし―――その一方で、技術依存だけでゲームの将来を考えることはおかしい、と原島氏は言います。技術はゲームをサポートするためにあるにも関わらず、傍から見ると、技術が主役で、それに合わせてゲームが作られているようにも感じると言います。


情報技術は基本的はにムーアの法則で発展するため、18か月で性能が2倍、5年で10倍になります。しかし、人間の能力はもちろんムーアの法則で高性能化しません。最新の技術に対応したソフト開発では、開発費が高騰し、開発期間が長期化します。それにより、失敗が許されなくなり、新作を企画するような冒険はできなくなります。さらに「それでは総合力を有するアメリカには勝てない」。ようやく追い付くかなというときには、コンピューターの世界で「第5世代コンピューター」が躓いたのと同じ過ちを繰り返す可能性もあると言います。

原島氏は、もともと産業は発展途上期は技術に依存するものだと説明。発展途上では、技術が商品の価値になります。例えばデジタルカメラは当初は画素数での勝負だったのが、行き着くところまできた現在は顔認識技術の応用やネットワークとの連携など、別の場所に付加価値を見出すようになりました。また、アパレル産業は戦後の早い時期には素材自体が商品の価値になっていたものが、現在ではブランドやデザインといったものが重要視されるようになりました。このように成熟した産業では、技術は当然としながら、いかに付加価値をつけるかが重要になり、ゲーム産業もその段階に入ったのではないかと原島氏は説きます。

商品の価値とは?

■成功は失敗の父

「そろそろ、ゲーム業界は大人になる必要がある。」というのは原島氏からの厳しいメッセージです。一つはビジネスモデルをしっかり持つこと、一つは産業としての総合力を身に付けること、一つはアメリカを追いかけないこと、一つは社会的に尊敬される産業になること。

ビジネスモデルの確立産業としての総合力アメリカを追いかけない
高齢化社会に向けて10分間で遊べるロングテール

そして、更に厳しいメッセージは「成功は失敗の父」であるということです。なぜなら、成功していると次への準備がおろそかになります。成功体験を持つことで、失敗を恐れ冒険を避けるようになります。成功者が神様・ワンマンになり、誰も意見できなくなります(会場苦笑の意味は・・・?)。また、成功することで熱烈なファンが生まれ、それを裏切れないという思いからますます袋小路にはまりがちです。しかしコアユーザーは大切です。「ぜひ一緒に乗り越えて欲しい」と原島氏は言いました。

成功は失敗の父成功体験に縛られがちであるそして主役は必ず交代するものである

さて、主役は交代しています。技術依存で成長してきた発展途上期から成熟期となったゲーム業界はますます面白くなります。様々なタイプのゲームが登場し、ビジネスモデルも多様化します。グーグルを生み出したのは、たった二人の大学生でした。

今だけを見ないでほしい

未来へ向けて
「夢のストック」
を持ち続けて欲しい

人に笑われるような
荒唐無稽な夢であっても

夢のストックさえあれば・・・

いつかは追い風が吹く。
それにのって夢を実現できる。

夢は財産である。

その夢を財産として、
未来の無限の可能性を
自ら発見して欲しい。

それができれば、次の
主役は君たちである
《土本学》
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