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【DIEC2005】 上村雅之氏が任天堂の源流を語った[6]

ゲームビジネス その他

シンポジウムの第一部の最後は任天堂アドバイザーでファミコンやスーパーファミコンを開発された上村雅之氏(立命館大学教授)が「テレビゲームと任天堂」というタイトルで講演を行いました。

「大学などで話をしていると、学生さんにファミコンと言っても、ファミコン? という反応が返ってくるようになったんですね。じゃあなにから遊んでるのと聞くとスーパーファミコンかプレステなんですね。そんな時代なんで、任天堂の源流は何かと言うと、ファミコンではない、という話をさせて頂きます」ということで上村氏は任天堂の源流について話します。

任天堂がゲームに参入するきっかけはやはりアタリだったようです。ナムコのように直接の関係はなかったものの、『Home Pong』の影響によって家庭用ゲームビジネスに参入することを決定し、業務用の『ブレイクアウト』の影響で家庭用テレビゲームや業務用ゲームの自主開発を決意したそうです。まずは、その頃に任天堂が作っていた商品が紹介されます(ラブテスター、光線銃SP、ウルトラマシン、NBブロック)。「ラブテスターや光線銃SPは電子といってもトランジスタをせいぜい1個か2個か使うくらいの」でした。

業務用でも『ワイルドガンマン』(横井さん設計)や『EVRレース』といった商品がありましたが映写機を2台を使って作ったりEVRというビデオディスクのようなシステムを利用して様々なレース画面を読み出してきて表示したりと、まだ映像を生成するようなものにはなっていなかったそうです。上村氏は『ワイルドガンマン』の「勝つと女性が脱いでいくようなのも作られていて、これは社外に出て行きませんでしたが、社内では結構人気でした」という裏話を披露して会場は爆笑でした。『EVRレース』の映像は「今でも有名な方」で競馬好きな型方が制作したそうですが、小田部氏でしょうかね。

1976年ごろからのテレビゲームブースで多数の国内メーカーが一斉にテレビゲームを作っていきます。上村氏はここでゲームを発売したのは3種類のタイプの会社があったと指摘します。東芝やシャープや松下などの「家電メーカー」はテレビの周辺機器や内蔵機能と位置付けて取り組みました。「ゲームができる電子玩具」としてはエポックやバンダイなどの「玩具メーカー」が作りました。最後に意外と知られてないものの三菱やNEC、沖電気、GI、NS、TIといった「半導体メーカー」はポスト電卓としてゲームに取り組み、任天堂とゲームの繋がりもここから始まったそうです。もっと詳しい話に進みます。

1976年当時電卓は熾烈な競争が繰り広げられていました。そこで『PONG』のヒットを見た各社はポスト電卓としてゲームを見るようになりました。日米の半導体メーカーは一斉に開発を始め、兵庫県伊丹市にあった三菱電機半導体事業部もその1つでした。三菱電機は輸出専業の電卓メーカー「システック」に依頼して設計を行っていましたが、システックは価格競争に敗れ倒産してしまいます。そこで三菱電機が声をかけたのが同じ関西に地盤を持つ任天堂でした。そして任天堂はテレビゲームの販売を決意します。

最初に発売したのは「カラーテレビゲーム6」(9800円)と「カラーテレビゲーム15」(15000円)でした。設計したのは三菱電機で、上村氏が「中身はあまり分からなかったが、価格については分かっていた」と述べるようにこの価格は当時のゲーム機としては破格のものでした。任天堂は「ゲームを買うのは誰か?」という視線からこの価格設定で大ヒットを呼び込みました。ここで当時のCMが紹介されます。家族が遊んでいる様子を映したもので、「見るテレビから遊ぶテレビへ」というコピーが使われていました。当時はカラーテレビへの移行期で「カラー」という言葉が名称についたのもこのためです。

ゲームの中身は「ホームポンと同じ類似品」で「バレー、テニス、サッカーみんなよう似た。ちょっとずつ変えてバレー、テニス、サッカー。あと1つを操るシングル、2つあるダブルス、で6種類、インチキもはなはだしい、というような世界で、でもこれはポンとしては、、、ポンというかポンの精神を生かしながらかなり工夫を」と説明して爆笑が起こってました。

ちなみに三菱電機にはゲームを作れるLSIの設計士はいなくて、設計したのは大学時代から趣味でテレビゲームを研究していた技術者が担当したそうです。その技術者と「楽しい事にも目がないけれど何も分からない任天堂」が組んで出来た商品だったそうです。

次に上村氏はテレビゲームは玩具屋にとって「夢のおもちゃ」だったと述べました。それは玩具では実現できなかった3つり機能を達成できるからです。1つめは「玩具自体がゲームルールを正確に判定できる機能」です。次に「ゲーム結果を正確にカウントできる機能」です。最後は「ボタン操作だけでゲームを開始できるリセット機能」です。例えばトランプを考えれば分かり易く、トランプではルールや結果はプレイヤー自信がやらなくてはならず、一度終えればシャッフルして再開できる状態にするのも参加者自身です。これらは玩具でも実現しようと思えば不可能ではないけれど、非常にコストの高いもので、テレビゲームはそれを一挙に解決してしまうものでした。

しかしながら不安もありました。任天堂にとってはLSIという未知の技術を利用すること、そしてテレビという高価な機械を利用する半完製品(テレビが無ければただの箱)ということ。しかしこれらは杞憂にだったようです。ただ「実際に聞いてみると近所の電気屋さんが偉い迷惑こうむった」らしいですが。

次は「ブロック崩し」の話題に移ります。これも「カラーテレビゲーム6」と同じようにテレビに接続して遊ぶゲーム機です。上の方で既に触れられていますが、任天堂はアタリの『ブレイクアウト』(いわゆるブロック崩し)を見て「あれを自宅でも存分楽しみたい」ということで自社開発を決意していて、この頃になると自力で開発ができるようになっていたそうです。ただインベーダーブームの煽りで売れ行きは芳しくなかったそうです。ちなみに筐体のデザインは入社2年目の宮本氏が担当していて「おもちゃおもちゃしたデザインでなく、かといって家電でもないデザインで私も気に入っています」と上村氏は述べていました。

上村氏は「任天堂はテレビゲームを玩具と考えていた」と言います。玩具の最大の需要種は子供達です。しかし子供達は面白いということに鋭く反応し、厳しい評価を下す存在です。一方で子供達には子供の立場があり、自立していないということから、立場に合わせた「玩具の価格」が存在します。テレビゲームは、最先端の技術を利用しながらも量産効果などもあってその価格を実現することができ、更に当然のように、未体験の遊びを提供できたことによって、予想以上のマーケットを作り上げることができたと上村氏は言いました。そこには「製作者の地道な開発努力」と「半導体を中心とした技術進歩」がありました。しかし最も重要なことは「世界中の子供達の強力な支持」が最大の要因ではないか、としました。

上村氏は最後に「夢の玩具」以上に成長したビデオゲームに1つの言葉を残します。最近の子供達は本当に幼い頃からゲームを楽しんでいます。しかし元・子供に聞くと「最近のゲームは"玩具を通じて夢見る世界"を失っているのではないか」と指摘される事が多いそうです。「ファミコンブームの話を聞いても、ファミコンの中と言うよりもファミコン話で外に世界ができたと言います。一種のソーシャルゲームというか。源流に立ち会った一人の玩具開発経験者としてビデオゲームが子供達の夢のオモチャであり続ける事を願ってやみません」
《土本学》

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